日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

有機農業とテクノロジー/様々な誤解についてなど

AIとロボットを駆使して有機栽培に取り組む会社が設立された、ということで、彼らの取り組みに触発されて、有機農業とテクノロジーについて改めて考える機会になったので、頭の中を整理しながらまとめっぽいものを書いてみた。

【トクイテン】設立についての豊吉さんの記事

www.facebook.com

 

世界的な気候変動や資源の枯渇、生態系の劣化の様子を見ると、化成肥料(天然ガスや鉱物資源から製造)や化学合成農薬の使用を控えたほうが良さそうだし、世界の農業全体がそっちの方向に進んでいるのは間違いない。

で、そういう動きのなかでも、先駆者的な人あるいはラディカルな人が、半端なこと言ってても結局前に進まないからいっそ【全部無し】にしよーぜ、というのが【有機農業】というジャンルだと捉えたらいいんじゃないかと思う。

 

(※その想いや姿勢をブランディングして売ってるのが有機業界によくある商売スタイル。有機JASという制度もそれをサポートする。なお「有機農産物」が健康によい、というのは科学的に間違っているが、そうした消費者の事実誤認を利用して業界が発展してきた面があるのはこの業界の深い闇だと思う。
無論、有機栽培が健康に悪いわけではないし、健康によいものを生産している有機農業者も総体的に多いのは確かだが、これは栽培における個々の努力の結果なのであって「有機農産物」が健康によい、という論理に一般化するのは無理筋。
農薬については詳細な議論が必要になるが、化成肥料が毒だと思っているとすればそれは大きな誤りだ。)

 

ただ現実には、化成肥料や農薬っていうのは栽培においてすごく有効な「制御手段」であって、これがあるからこそ、現在の社会のように、どこに行っても誰もが簡単に食料を手にすることができる環境が実現できている。

そんななか、あえて【全部無し】の有機農業に取り組む場合、手足縛って自然任せみたいな栽培方法になってしまいがち。趣味の栽培ならそれでいいが、有機栽培を職業として選ぶ場合、安定したパフォーマンスを出そうとしても技術面でも経営面でも「無理ゲー」でハードルが高くなりやすいのは必然。結果、世の他の職業と比較して相応の稼ぎを叩き出すことができるのは、ごく一部の環境に恵まれた人や才能のある人だけということになってしまう。。。

そのあたりを考えれば、現実的に社会全体で持続可能な食料生産を考えるなら、「有機農業」を推進するというよりは、環境問題に対応する形の取り組みを全方位でできるところから進めていく、というのが正しいと思う。

 

最近、政府が政策方針として示した「みどりの食料システム戦略」では、2050年には国内の有機農業のシェア25%を掲げているが、これは捉え方によればかなりミスリーディングになりうる。

www.maff.go.jp

 

個人的な考えとしては

 ・社会全体として化成肥料、農薬、遺伝子組み換えなどの技術を環境適応型のもの (堆肥、天然資材など)に変えていった結果として、2050年頃には既存のものに頼らなくて済むようにする。(というか、そのころにはエネルギー資源的に化成肥料とか経済的に無理!ってなってる可能性は高い。)

という話だと思っていて、

 ・現状の手足縛りの有機農業を政策的にプッシュして25%までシェアを増やす

ではダメだろうな、と考えている。

 

(念のため、これは今、日本の食品流通の0.5%のシェアを占めるオーガニックな価値観を持った人たちのコミュニティを否定するものではない。僕自身そこにかなり親近感をもって活動してきた訳だし。でも、「社会全体」を考えたとき、今の有機農業のスタイルや制度設計・流通システムをそのまま拡大するのは無理筋じゃねーか、という話。

くどいけど、SNS全盛のなか、言葉の端をとらえて感情的に受け止める人も多くなったと思われるため、ちゃんと文脈を読んでね、という意味での補足。)

 

と、まぁ、話してきた感じで僕はとらえてきたんだけど・・・「今の有機農業の条件(無農薬、無化学肥料っぽいやり方)をそのまま広げようとしてもダメ」という考え方自体が、現状の思考に縛られているだけ、という可能性もある。

つまり、今回の豊吉さんたちの【トクイテン】の取り組みのように、AIやロボットがもたらすイノベーションが、こういう思考そのものをぶっとばしちゃうかもしれない、ということ。

 

農業なんて所詮、1年に数回しか栽培できないので、知識や経験、ノウハウを溜めるスピードは限られているし、師匠と弟子の間の口伝みたいな形ではそのノウハウをストックしたり伝える術は限られている。それに様々な栽培管理に関わる高度な技を身に着けること自体、身体的な限界もあってなかなか簡単にはいかない。だから、有機農業のようなハイ・コンテクストな技術体系というのがなかなか広まらないという面がある。

 

今回のAI、ロボットを利用するというチャレンジは、上記のような課題にまさにぶっ刺さるテーマなので、僕自身は実はけっこう期待していたりするのだ。職人芸的な知識やノウハウ、スキルをどこまで言語化~共有知化できるか、と考えると、そこはなかなか高い峰がそびえたっているようにも見えるし、実際どうなるかは分からないけれど、「がんばれー」と応援したい気持ちは強い。

 

ちなみに僕もそっち方面、興味はあるのは確かなのだけど、今は基本的には「オーガニックな生態系」としての新しい流通の仕組みづくりに集中しているので、そっち方面とうまく接続させながら、何かできるといいなぁ、と願ったりしている。

農業法人化 ~ Song of the South ~ Selma

ここ最近、これまでやってきたことを整理し、

これから進んでいく道を見定めていく、

そんな作業を腰を据えてやる必要性を強く感じている。

 

今日も、そんなことをぼんやりと考えていたら

Facebookの一つの投稿が目に入ってきた。

 

メロンを生産されている寺坂さんによる

農業の法人化をめぐってのディスカッション。

農業やるなら法人化なんてしない方がいい…という投げかけ。

 

www.facebook.com

 

 

色々考えさせられるなか、同じ本について

検索をかけてみたところ下記リンク先の書評があったので

ざっと斜め読みをしていたら、最後のところで

Alabamaというバンドの曲 ”Song of the South” が紹介されていた。

 

book-jockey.com

 

 

 

www.youtube.com

 Song of the South 歌詞(Lyrics)

genius.com

 

★ブログにあった歌詞概訳↓

これは南部の農家の歌♪
今は誰も語らないけど すべてが消えてしまった♪
必死になって綿花を栽培したけど お金にはならなかった♪
父さんはベテランで 民主党員だった♪
誰かがいった 大恐慌がきたって♪
綿花は大きくならず 雑草ばかり大きくなった♪
ぼくたちは貧しくなったけど ルーズベルトが救ってくれるって♪
結局ママは病気になって パパは農家をやめた♪
うちの畑は 州のものになった♪
パパはルーズベルト公共工事で働いて♪
洗濯機とシボレーを買ったよ♪
南部の歌を歌おうか♪
風と共にすべてが消え去ったいま♪
誰も過去を振り返らない♪

 

...

 

米国南部はかつて多くの黒人奴隷を抱えて

綿花栽培を行っていた農業地域だ。

南北戦争を通じて奴隷解放宣言が出され、

奴隷を使っていた白人農業者たちは

労働者となった黒人に対して給料を払う必要が出て

経営的にはとても苦しくなっていったはずだ。

大規模農業者への集約・統廃合も進んでいったことだろう。

 

そんな中で苦しいながらも踏ん張っていた農家たちが

1929年の大恐慌で綿花の価格が暴落したときに一気に潰れた。

大半は公共工事の仕事をもらう土建屋になったりして

雇われの身になりながら、生活を立てていったことだろう。

 

ま、何処も同じ…という何かがそこにある。。

 

ただ、そうして貧しい白人(Red Neck)たちの一部は

ルサンチマンを黒人たちにぶつけることになり、

黒人に対する人種差別感情は南部に根強く残り続けた。

1960年代までは表立っての差別制度も多々許されていた。

KKKのような人種差別的な私刑組織も存在していた。

 

ちなみに、僕は1989-90年に米国アラバマ州にある

Selmaという小さな町の高校に1年間留学していた。

先のバンドはそのアラバマ州出身のメンバーからなる

カントリーミュージックのメジャーバンドだ。

そして僕が留学した都市の前年

1988年に全米ビルボードチャートで

1位になったのが ”Song of the South”という曲。

 

 

Selmaという町は奴隷制をめぐって南北が衝突した

南北戦争】の激戦地として知られるとともに、

人種差別政策との闘い(公民権運動)において

クライマックスとなる場面の一つ「血の日曜日事件」が

起こった町であり、主流非主流、支配被支配の軋轢、

もろもろの遺恨が色濃く残るところだ。

 

 

実は僕のいた1990年にはこうした事情を

象徴するようなちょっとした事件が起きた。

しかも、僕自身が通っていた高校をめぐってだ。

白人と黒人が半々所属していた学校は

歴代初めての黒人校長を迎え、その改革により

引き起こされた様々な感情の軋轢により、

人種間対立が先鋭化、白人の多数は学校を辞めた。

緊迫感のなか、州軍が高校に駐屯するという異常事態。

アメリカの田舎町での出来事だが、日本のテレビでも

流れたほどの一大事件だった。

 

www.washingtonpost.com

 

 

当時の僕自身は、白人側の一番豊かな層の

コミュニティに属する家族にホームステイしていた。

言葉がそれほど分からなかったこともあり、

この出来事は結局のところどういうことなのかわからず、

未消化のまま自分の心の奥底に沈んでいった。

ただ、当時感じた薄く引き伸ばされたようなHatredの感情、

湧き上がる黒人の人たちのエネルギーに圧倒された感覚は

心の中の何か奥深いところに「痛み」として残っていた。

 

通常の暮らしのなかではこのことは記憶の彼方だったが、

3年ほど前に当時のことをVIVIDに思い返す機会があった。

 

ひとつは大統領選挙でトランプが台頭してきたときで、

彼を支える特定の「層」、彼らの感情は

一体どこから来るのだろう、と考えたとき。

 

そしてもう一つは、2017年初頭に

生まれて初めてアフリカに行くチャンスを得て、

自分のなかでは恐怖の対象でしかなかった「黒人」が

確かなルーツを持った存在だったということを

彼の地で肌身に体感することができたときだった。

 

奴隷として連れてこられた米国の黒人の末裔、

そういう存在しか知らなかった自分が

その故郷の自然風土に触れ、またその音楽に触れたとき、

積み重ねられてきた歴史のリアリティが

はじめて実像を結んだ、ということ。

 

今日の一連の思考とサーベイ

農業の法人化 ~ Song of the south と当て所なく泳ぐなかで、

これも何かの縁だと思い、マーチンルーサーキングの活動の

クライマックスの一つである血の日曜日を題材にした

映画 ”SELMA"を観た。
(邦題「グローリー:明日への更新」2015年)

 

 

eiga.com

 

 

マイノリティ、被支配層が

踏みつぶされ続けることを拒絶して

事態を変えるためにすべきことは何か?

そこに求められたエートスは?

現代の状況に照らしたとき、そこに有効性を持つものはあるのか?

 

30年前、高校2年生の自分がもがいていた町。

思い出したくないような、思い出したいような・・・

今現在の悩み、これからどう生きていくか、に直結する

とても深いところに在るものに触れる時となった。

 

多様なものが共に生きていくということ。

持てる者、持たざる者。

支配する者、される者。

喰らうもの、喰らわれるもの。(動物と植物?)

自立とは何か。共生とは何か。

農という、生命と向き合う営みの意味は?

 

7年ほどの会社経営の足掻きのなかで

「株式会社」というシステムが

現代の諸問題に向き合っていくには

力不足であることは常々感じるようになっている。

 

今の自分にできることは何か?

取るべき戦略はどういうものになるか?

 

ここで得たヒントを取り込みつつ、もう少し考えてみたい。

 

つづく(多分)。

エチオピアの商品取引市場を立ち上げた Eleni Gabre-Madhin

www.ted.com

 

エチオピアに商品取引市場を立ち上げるプロジェクトを進めた Eleni Gabre-Madhin さんの講演に大きな刺激をもらった。

エチオピア生まれ、米国に移住して世界銀行で経済学者としてキャリアを重ねてきた彼女が、母国の農業の置かれた境遇を改善するため、「市場」を創設すべく奔走する。

現代日本で生活していると、農産物がいつでも手に入るのは「当たり前」のことになっている。
しかし、豊作や不作、変化し続けるマーケットのニーズ、天候不順や台風や地震の影響を最小限に抑え、私たちの暮らしが守られているのは、それを可能にする「市場」や「農協」、それに接続される物流システムといったインフラがあるからこそ。

アフリカには未だそうした仕組みが未整備で、農家は天候変動や乱高下する相場に生命の存続を左右され続け、貧困のループから脱することができないまま。
一国全体の食を支えるインフラをつくる価値は限りなく大きい。

インターネットで世界の経済がひとつながりになっている現代。例えば穀物相場はシカゴでコントロールしていると言われるなか、わざわざエチオピアに市場をつくることの意味は何だろうか?

翻って見ると、日本では地方の市場がどんどん潰れている。規模感のある農家が大手スーパーや飲食チェーンと直接取引するケースが増え、各地に直売所が乱立する中、中小プレーヤー(農家、八百屋)の需給調整機能としてデザインされた地方市場はその役割を終えようとしているのか?

グローバル・大規模化とローカル・多様化の二極化が激しく進む農と食の世界で、小規模生産者や流通業者の果たすべき役割はこれまでと変わらず、むしろこれまで以上に重要になってきていると僕は思っている。
たからこそ、各地の流通ネットワークを支える地域ハブの役割を担う地方市場にも頑張ってほしいのだ。野菜や果物を目利きするプロフェッショナルの技能をしっかり継承していって欲しい。

ただ、今の日本のローカル市場は、生産や流通に関わる情報管理システムを現代的なものに更新できていない、という印象は免れない。昔ながらの体に叩き込んで覚える職人芸、人情でつなぐ関係性、紙の伝票にFAX、見た目第一(栽培履歴は二の次)、データドリブンからは程遠い、経験と勘の世界。

一度出来上がったシステムを変えるというのは、いつだって痛みを伴うプロセスになるし、良きリーダーに恵まれない限り、それが「自然に」進むことはない。
完成度の高い複雑なものであればあるほど、次のステージに移行するのは難しくなる。
でもそれをやらない限り、世界の潮流から取り残されていく可能性は非常に高い。

すでに食の流通システムが確立された先進諸国がその仕組を改善するのと違い、フルスクラッチでゼロからシステムを組み立てることの出来るアフリカには、実は大きな可能性が秘められている。
(人口構成を考えれば明らかなように、世界の中でこれから最も成長率の高いマーケットを抱えていることも間違いない。)

Eleni Gabre-Madhin さんの構想が面白いのは、取引決済システム、流通倉庫に加え、農産物情報の総合システムに栽培履歴や評価指標も含むような、新しい形の総合農業流通センターを構築しようとしたこと。

しがらみのある旧世界にくらべれば、この構想の実現を妨げるものはずっと小さいのではないかと思う。(別の要因はそりゃたくさんあるだろうけど…)

...

今、僕らが市場や農協のようなシステムが十分に形成されてこなかった日本の有機農業の世界に持ち込もうとしているテクノロジー、新しい仕組。

受発注データや物流手段・運航ダイヤ情報の共有化、各農業者の生産基準や栽培履歴をAPI取得する仕組、生産者の連携をファシリテーションするためのプロジェクト管理ツール、植物生理・肥培管理など技術ノウハウに関わるFAQ作成や基礎学習教材の映像アーカイブのライブラリ生成…

こうした地道なインフラ構築の価値は、この国ではなかなか認めてもらえないことが多いのだけど、アフリカであればもっとずっと容易く実現されてしまうのかもしれないなぁ。

いよいよ、ますます、時代はアフリカ、なのかな?
ねぇ、 合田 真 さん。


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以下追記

リンク先動画は2007年のものでした。
で、その後彼女が、そして市場がどうなっていったかに興味があったので少し調べてみました。
彼女はその後、実際に市場を立ち上げた後、シンジェンタのディレクターなどを経て、BLUE MOONというベンチャーインキュベータを立ち上げています。
本人の動画や、インターネット上に転がっていた日本語記事などを併せ読むと、今の実情がだんだんと分かってきたような気がします。

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

mamezou.jimdo.com

 


若さと成長しかない、エチオピアで発展するITの可能性を見た

https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/414/414802/

 

 

www.theafricalistinsights.com

京都新聞記事 「人と農をむすぶ」

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少し前の京都新聞
【京都オーガニックアクション】
の取組を紹介していただきました。

食を支える新しい流通のかたち
「フードハブ」の取組について
紹介する3週連続特集記事。

その2回目「課題を乗り越える」のタイトルで
生産者や流通業者(八百屋)が連携し、
農産物仕入に関わる受発注や物流の機能を
共同化する取組として取り上げられました。

KOA協議会ページはこちら↓

www.facebook.com

 

せっかくなので、こちらでは業界の人を意識して
もうちょっと詳しいところまで
突っ込んでご紹介させていただきますね。

---

共同物流運行のために利用しているシステムは

【FarmO】~ファーモ~  

www.farm-o.net

という、国の有機農業推進事業の一環として制作された
有機農産物の需給データベースを土台にしています。

これまでは、言わば、商品カタログだけ存在する状態で、
登録された生産者や実需者と実際に取引するには、
具体的な内容をメールや電話で相談する必要がありました。

そこで、KOAのプロジェクトと並走しながら、
FarmOの追加機能(ベータ版)として、
以下のような新たな要素を盛り込んでいってます。

【受発注、物流の合理化】

①注文リスト作成~受発注
生産者が毎週出荷可能な野菜リストを公開し、
そのアイテムを実需者がその場で発注できる機能

②物流支援
上記で成約した取引の農産物を運ぶために
何らかの物流手段を準備する必要がありますが、
ここではKOA便という共同運行便を用いているので、
そこで何をどこからどこへ集荷配送するのか、
いわゆる「ピックアップリスト」をつくる機能

商流支援
今のところ「帳合」となる存在を立てず、
メンバー間が相互に決済をしていますが、
その多対多の事業者の間で洩れやダブりなく
納品書や請求を発行する機能

【コミュニティ形成】

取引というのは信頼関係から始まるもの。
FarmOでは、Facebookでいう「友達」のように
互いに取引相手として認め合う関係にならなければ
野菜の詳しいリストなどは見えないようになっています。

KOAのように生産者と流通業者らが
コミュニティとしてまとまっている場合、
Facebookでいう「グループ機能」を持たせて、
メンバー間で取引・物流の情報や機能を共有して、
KOA全体の流通状況などを把握・分析することができます。

→ 価格設定や取引状況を透明化することで
  全体のモノの動きを俯瞰し、皆で連携して
  最適化を目指すための下地ができます。

KOAの共同運行プロジェクトでは、
こうした趣旨を集まる機会ごとに説明し、
参画メンバーである生産者、流通業者らにも
機能開発に協力してもらっており、
開発とコミュニティ形成が同時に進んでいく
面白い事例なのではないかと思います。

---

京都新聞さんの記事は「フードハブ」に焦点を置き、
海外の事例なども紹介してくれていました。

「生産から消費」「上流から下流まで」一貫して
生産計画や流通手段、各段階での価格設定などを
定めることで無理・無駄を省いて、
効果的な流通構造を構築するというのが
フードバリューチェーンの考え方。

大手スーパーや飲食店、大規模生産者などでは
需要(マーケット)動向を分析しながら、
生産計画を立てるのは当たり前のことになっています。

一方、中小規模の生産者、流通業者、
とりわけ有機農業に取り組む人たちにとって
これを実際に行うのは簡単なことではありません。

流通の各段階の「プレーヤー」の規模が小さく、
しかも経営主体が沢山ありすぎるので、
情報を総合・共有~連携することが難しく、
結局野菜を余らせて廃棄したり、足らなくなったり、
値段設定も原価を算出すること自体が大変なので、
価格は「えいっやぁ」と適当に決めていたり、
まぁ、実際はそこら中に無理・無駄が溢れています。

持続可能な社会を目指す人たちがつくる
有機農産物が必要以上に高値になる理由として
こうした部分は決して無視できない要素なのです。

.

日本の有機農業はもともと
「産直提携(CSA)」と呼ばれる
生産者と消費者が直接つながって、
互いの顔の見える関係のなかで、
安心を育てていこう、という
連携の取組を中心に進んできました。

経済成長~グローバル化~富の偏在化に伴い、
様々な共同性が解体し続けるなか、
人と人、人と自然のつながりを大切にする
「オーガニック」の思想に基づいて、
こうした取り組みをしてきたことの
意味は一定程度評価してよいと思います。

米国や欧州でも、日本の産直提携に倣う形で
CSAシステムが広がってきた歴史もありますし。

ただ、こうした流れが結果的に、
流通に関するプロフェッショナルな目線を排除し、
農協~市場といった日本の大多数の
生産者や青果事業者が身を置く「系統」のなかでは
ごく当然と思えるような機能やルールを実装することなく、
そしてそのことに気づくことさえないまま、
力ずくで進んできてしまった観はあります。

むしろ、今、農協や市場といった、
「公」を担保してきた「系統」の体力低下が進み、
一極集中型の流通構造(プランテーション・荘園型?)や
直売所のような場所貸し型(モール型)ビジネスが
強まっていく流れのなかで、
優れた中小規模の生産者・流通業者が生き残るには、
どういう方策をとっていけばよいでしょうか?

僕はこんな時代だからこそ、旧来の農協や市場のような、
自立した事業者が互いを支え合う仕組みを改めて見直し、
これを次代にフィットさせる形で再構築していく、
そんな動きが有効ではないかと思っています。

とまぁそんなことで、このKOAの取組には
ずいぶんと大きく思い入れをしているわけです。

参考資料として(もはやクラシックですが…)
農水省資料:生産者に有利な流通構造の確立へ向けて↓
https://www.kantei.go.jp/…/m…/suishinkaigo_dai1/siryou3.pdf…

 

'

少し前にご案内したとおり、8/31には
この流れの延長上にあるムーブメントとして
兵庫県でちょっとしたイベントもやります。

www.facebook.com

 

こちらも京都に劣らず、非常に面白い動きに
育ってきているので、ご興味おありの方は
是非、当日参加ないしオンラインからの視聴参加を。

次代の農と食を語る会オンラインサロンに
参加していただけるとストリーム配信を
覗いていただくことができます。

lounge.dmm.com

 

京都オーガニックアクション この1年を振り返る

一年前に【京都オーガニックアクション】

というムーブメントにどっぶりと参画して

活動を支える「協議会」を組織するにあたり、

自ら語ったヴィジョンを再び見直してみた。

.

あれからどれくらい進めただろう?

焦点はブレていないか?

ちゃんと最短のコースを進んでいるか?

.

地域商社へんこを立ち上げてから5年と少し。

自分がここまでやってきたこと、

これからやろうとしていること。

できたこと、できていないこと。

.

心を鎮め、もう一度原点に還って、

進むべき道を見定めたい。

.

ただのお祭りでは済ませない。

コツコツ、コツコツ、歩みを刻む。

細かい作業を厭わず、

ひとつ、ひとつ、こなしながらも

大きい絵を見失わないよう。

.

オーガニック業界をどうにかするとか、

農業をどうにかするとか

そういうことじゃないのだと思う。

.

ノスタルジー

永遠への幻想も

すべて放り出して

.

「今」を生きるために

それだけのために、

未来と過去をつなぐ。

.

そうやって、これからの時代、

人がどう生きていくのか、

何を得るかではなくて、何を成すか

そこのところにコミットし続けたい。

.

ズームアウトして眺めたとき

己の歩いた跡が一筋の光のように

なっているのかどうか

折に触れ、己の歩む道程を見晴るかす。

.

テンション落とさず

ゆっくり進む。

.

【参考資料】

2018百姓一喜「農家大合宿」↓

sites.google.com

 
 

https://youtu.be/_cIVrwz9sSs

 www.youtube.com

 
 
  
【2018】
京都オーガニックアクションは、システムとコミュニティの生成が
同時に進行するところが面白いのだと思う。
 
【2016】
地域農業商社「株式会社へんこ」の取り組み

http://henko.jp/wp-content/uploads/2016/12/0e932f1a33afdada8a8a2a1adb2ac20c.pdf?fbclid=IwAR3XlYqktMAi56XcacoyS3WbN_c0SO9f3w2F5ChM13QgiQ_8A2I1VOp6NvM

 

【2014】
農業者連携イメージ
(伊賀で協議会を回しながら考えていたこと)

iga-vegetable.jp

 

46歳になりまして

各方面からお祝いの言葉をいただき
大変有難く思っています。
相も変わらず日々をひた走り続けていて
なかなかゆっくりお返事もできませんが、
今の想いなどを少々。

年末に内輪の忘年会で久しぶりに
ギターを弾きながら歌ったりしたのですが、
長らく何もやっていなかったわりに
我ながらいい感じのグルーブに浸ることができ
ちょっと不思議な感触があったのです。

ものの上手というものは、
日々の鍛錬もさることながら、
実は存外、自分の奥深くにある
「芯」のようなものをしっかり育てているか、
そういう部分に強く依拠しているのではないか、
そんなことを肌身に感じる機会となりまして。

いずれの「道」も究めんと思えば
まずは人間磨きということ。

今年に入ってから、毎日のように
畑に行っては小松菜を収穫し、袋詰めする、
そんな日々を送っているわけですが、
これが何だかとても贅沢な時間でして。

作業の傍ら、四方八方に手を広げて展開している
様々な事業やプロジェクトについて
頭の片隅のほうでイメージしているのですが、
左脳の活動はぐっと控えて手元に集中しつつ、
右脳の織りなすふわっとした思考の動きを追う、
それが案外、高い生産性を可能にするのかも?

暖かな日差し、雨や風、草木の揺らぎ、
長靴、鎌、コンテナの重み、
毎日の賄い飯をほんの少し丁寧につくる。

そう、これだ。

「農」の世界もまた一つの「道」。

思えば、東日本震災を契機に
自分の人生のコースは大きく動いた
という風に感じています。

あれからまもなく8年。

目先の何かを追いかけるのではなく、
今の世界に対して己が何を為せるのか?
真の幸せとはいったい何なのか?
そんなことをクソ真面目に考え続けるうちに
ずいぶん遠くに来てしまったのかもしれません。

今は何だか、
もっとシンプルなところへ、
還っていきたい気持になっています。

生命の営みに寄り添い、
そうして生命そのものをいただく
農という「業」に没頭し
今もここに居られることは
とても幸せなことなのかもしれない。

僕らの仕事は、未来をつくること。

とはいえそれは、遠く彼方のほうに
諸々のことを先延ばしにしてしまう、
そういう類のものではないのですね。

未来の種を生み出す素となるのは、
そして、描かれる未来そのものさえも、
日々の仕事、そして、暮らし、
そこに帰着するような気がしています。

今をつなぎ、未来を描く。
未来を描き、今をつなぐ。

--

唵阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺囉

麽抳鉢納麽入嚩攞鉢囉韈哆野吽

--

いつもありがとうございます。

皆さまと共に、明日もこの世界を生き、

学び、創り続けていけますように。

 

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皆さま、明けましておめでとうございます。

昨年末あたりから断捨離モード。

農業の世界に入って以来のことを

あれやこれやと振り返りながら、

心身のしこりのようなものを

ゆっくり溶かしているような感じで。

.

放っておくとそのまま蒸発しそうなので、

さすがにそろそろ仕事脳に切り替えないと、

ということで、えいや、っと振り払うばかり、

久々に投稿。

.
---
.

折しもメンバーの入れ替わりもあって、

畑のまわりを一人ウロウロすることに。

手が回らず荒らし気味になっていた

「兵どもが夢の跡」を横目に、

小松菜の収穫やら袋詰を淡々とこなしながら、

我が身の来し方、行く末に想いを馳せて。

.

この3年という時間は僕にとって、

自分の深奥にあるものを、

「壊す」期間だったのだと思います。

.

わき目も振らず「美しいもの」を追ううちに

身体を壊し、家族を壊し、

社会的信頼というようなものも

すっかり棚上げしてきまして。

.

そうなってみると・・・

鎧のように強さを身に纏っていた時は

その存在にすら気づかなかった

「声なき声」のようなものが

ゆっくりと自分を蝕む感覚が生じてきて

ただただ闇に震える時も続きました。

.

すぐそこにまで近づいていた死の影。

そして...生まれ来た新しい生命。

陰と陽はいつも裏腹なのだと感じました。

.

そうやって、いつしか、

自ら築いてきたものをひとしきり

ドロドロになるまで溶かし切るなかで、

それでもそこに残るものは一体何か、

とりあえず行けるところまで行ってみよう、

結局のところ、そんな風にしているうちに、

自分にとって「生きる」ということが

随分変わってきたように思います。

.

人に認めてもらうことなどどうでもいい。

キレイに見せる必要などない。

目の前の本当にやりたいことを

納得いくまできっちりやりきる。

ただそれだけ。

それだけのことをできるかどうか。

.

顔も見えぬ他人のために生きてはつまらない。

自分の価値を知り、自分を生き切る。

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ふわふわ柔らかいけど、しなやかで強い、

「軸」のようなものが育ってきた、

そういう感覚が得られるようになったのは

ごく最近になってからのように思います。

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変態(メタモルフォーゼ)の時を

何とか生き残ることができたのは

「善友」との邂逅あればこそなのでしょう。

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道を究めるにあたっては、

【 守・破・離 】

の時があるといいます。

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「破」の時はどうやら満ちたようで

「離」が訪れているように感じています。

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怯えて刃を振り回す必要はもうない。

あとはただ、己の描くべきものを描いていくだけ。

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さて、今年やること。
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◎農業生産・販売に関わる思考フレームの整備

 自分で畑回しながら色々掘り下げたい。
 10年先を見通した研究開発および教育をやる。
 大学がやるべきことを自前でやる感じ?
 とりあえず色々書いたり記録したり。

 昨年たくさん講義やファシリをやらせてもらい
 かなり頭を整理する時間を取れたので
 それなりの完成度のものが用意できるかな。
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◎流通の仕組を掛け算する
 
 「へんこ」で5年かけて作ってきた
 地域の中小規模の生産者の農産物を取りまとめる
 物流や商流のシステムをブラッシュアップして
 各地へ横展開していけるよう。

 昨年、足がかりをつくった京都、兵庫周辺から
 今年は近畿一円ネットワーク形成を目指す。
 シェア物流のノウハウもだいぶ見えてきたし、
 地道で鈍くさくても、ジリジリと、ジリジリと。
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◎農産物に関わるデータベース共有を一歩前に。

 ロジカルな農業生産・流通を支えるための
 インフラ整備をコツコツと続ける。
  ―作業記録~原価管理
  ―作付・販売計画
  ―取引履歴
  ―物流手段
  ―農業認証
 といったあたりのデータを連結させていく作業を
 いちエンジニアとして地道に形にしていく。
 (APIプロトコルの検討が鍵になるのかな)

 こうしたデータベースの構築により
 公地公民~班田収受の法
 太閤検地~農地解放といったかたちで
 「公」を支えるために構築されてきた
 生産管理システムが、時代に沿うように
 新たにデザインされていくのでしょうね。

☆上記のことがらは別に自分で全部やる、
とかいうのではなくて、色々な人と連携しながら、
社会的に実装されていけばいい、というスタンス、
とにかくオープンイノベーション
ひた走ることになると思います~。
 
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◎仕事=「整理すること」とわきまえる

 エントロピー増大の定めにある宇宙のなかで
 生命の営みとは秩序形成そのものにある。

 衆愚に飲み込まれないよう、知を掲げる業を。
 あきらめず一生足掻き続けるのみ。

 振り返ると、昨年は「ファシリテーション」と
 「プロジェクト管理」を軸にしながら
 こんなことを考えていました。

  ★ものごとの原動力は差異にある
   ~生命を散逸構造としてとらえる
  ★「ありのまま」こそ多様性の源
   ~身体知・勘・共同性を観る
  ★「いのち」を乗りこなす
   ~プロジェクト管理技法
  ★分析から統合へ
   ~ファシリテーション技法
  ★「オーガニック」という戦略の可視化

https://www.facebook.com/murayama.kunihiko/posts/1733215240069232

 そのあたりは今年も継続して編み続けますが、
 何というか、基本方針みたいなものとして、
 
 「つまらぬ人に巻き込まれない/ 
  地に足ついた己の生活を守る」

 みたいなことを大切にしていければ、
 と思ったりしています。
 
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まぁ、そんなこんなですが。

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ご一緒いただける皆さま、

今年もワイワイ賑やかに~

ポイントポイントでは

ピンッと緊張の糸を張って◇

のっしのっしと参りましょう。

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改元の年。

変化の多い年になりそうですが、

善き一年となりますよう!

 

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