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日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

ほっとした話。

この人、超すごいなぁ。

これだけのことをさらっと表現できる

若い知性が育っていることを知ると

肩の荷が下りたように感じるし、

何だかものすごくほっとする。

未来は明るい。

 

僕はゆずり葉のように生きていきたい。

 

[佐藤航陽のブログ]

偶然でも必然でもない世界を生きるということ、動き続けることの大事さ | 佐藤航陽のブログ

大切にすることメモ◎2017年

自力救済を放棄する。

我が身のみ救うことに意味はない。

 

足りないことは気にしなくていい。

心が満たされていればそれでよしとする。

 

世間体は気にしない、媚びない。建前は不要。

常識なんて壊すためにある。

 

怒りや悲しみ、不安や恐怖に吞み込まれない。

深呼吸。真っすぐ見つめて、静かに背筋を伸ばす。

 

予定通りにいかぬ、努力が報われぬことを恐れない。

何者も責めず、心を鎮めてただ事態を眺める。

 

立てずに済む計画や予定はそもそも立てない。

現象の成り行きをじっと見つめ、ただ予測を立てる。

 

夢や希望、野望を持つなら抽象的、感覚的でよい。

愛とか世界平和とか言っておけばいい。

 

ひとりぼっちの人に出会ったら傍に寄り添う。

寂しさを埋めることがブレイクスルーの鍵。

 

物事を決めるときは、恐れや不安を

真正面から受け止めるような選択をとる。

 

身体の声を聞き、感情を露わにする。

大丈夫、意識は後から追いかけてくる。

 

宇宙の法則を理解し、言葉にすることに時間を割く。

全ての学問、宗教、芸術は統合されつつある。

 

お金より、知識より、道徳より、法律より、効率より、

<いのち>が伸びゆく道を優先する。

 

僕らの仕事は<いのち>を育てることだ。

そのことを片時も忘れないよう。

 

この道を歩き尽すべし。

年の終わりに想うこと

2016年が終わろうとしています。

 

今日も大晦日とはいえ、

何やかんやと積み残しの雑用があって、

地主に年貢(地代)を手渡しに行ったり、

来春のレタスやトマトの培土に使う

「もみがら燻炭」を焼いたりしていました。

 

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ささっと焼いて、年越しは少しはゆっくり、

などと思っていたら、もみがらの水分が存外多くて

なかなかこんがりとはいかず、気付けば辺りは真っ暗に。。。

 

金星と下弦の月が天に昇りかけていました。

 

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それにしても、いやはや、

今年は人生で最も長かった一年

のような気がします。

 

振り返れば、

長年の無理が祟ってすっかり身体を壊し、

自ら始めた農業生産や流通の事業は

簡単には越えられない幾多の壁にぶちあたり、

妻子は去り、寝泊りする場所も無くなって

会社の事務所に転がり込んだ形のスタートでした。

 

赤ん坊のように無力な状態に戻って

もう一回人生をやり直すような感じだったから、

長~く感じたのかもしれませんね。

磁極が入れ替わるような

強烈な変化が自分のなかで起こったというか。

 

僕はこれまでずっと、

お金や地位、目先の安定や保身より、

「世界が幸せになる方法」を

馬鹿正直に模索しつづけてきたように思います。

 

自分の幸せは基本的に後回しでよろし。

そんな姿勢を「正しい」と思い続けてきたし、

他人にも求めてきたと思います。

 

与えて、与えて、与えて。

 

それはどうにも無理があったんですね。

そんな風にしてたらすぐ金なくなるし、

暇なくなるし、身体は壊してしまう。

家族だってたまったもんじゃない。

でも、やめられない止まらない・・・。

 

で、ついに壊れた。

 

それまでは、天から与えられた力のおかげで、

わりとどんな時、どんな状況でも、

何とかかんとか乗り越えて、

事態をコントロールできちゃったんですね。

 

でも、その傲慢さがバーンと壁に打ち付けられ、

粉々になるまでぶちのめされた。

 

世界のなかに「正しさ」を実現するために、

山頂を目指して登り続けてきたんだけど、

やがて傾斜がどんどん、どんどん、きつくなって、

で、いやはやこりゃ大変だな、どうしよう、

って思ってたら、足元をパーンと掬われ、

気付けばゴロゴロゴロ・・・

って激しく滑落していった。

 

ダメだ。

身動きできない。

ただその場でへたりこむ。

 

喘息発作で息が苦しい。

頭が全く回らない。

  

やるべきことがやれないままどんどん積まれていく。

カオスが濁流のように自分を飲み込んでいく・・・。

 

僕はこれまで、「弱い者」の立場を

本当に理解したことがありませんでした。

 

「普通に」過ごしている人間は

傷ついた者に気付かず、無視し、

空気や道端の石のように扱うんですね。

都合よく利用し、踏みつけていく。

しかも、無自覚に。

 

人間の鈍感さ、狡猾さというものの存在を

これまで、頭で理解していたし

嫌なもんだな、と思ってはいたけど、

実際にそっちの側に立たされてみると、

それは想像を絶するくらい、強烈なものでした。

  

こういう状態になって、生まれて初めて、

「殺したい」というくらいの、

激しい怒りと憎悪の感情の存在を

知ることになりました。

 

自分が「力」を持っていた時には

あまりに鈍感で気付かなかった、

人間のどうしようもない醜さ。

 

「力」に負け、「力」に媚び、

やがて力を振りかざしてしまう卑屈さ。

我が身の安定と「予定通り」を守るため。

自分の存在を脅かしてきた何者かに復讐するため。

 

自分の生存と安泰を図るために、

弱い者は無視し、存在しなかったことにし、

雑草のように、虫のように踏みつぶしていく。

 

それは<いのち>を忘れる世界。

 

国家、法、村落共同体、利権、

論理と効率、指導者、道徳・・・

 

「力」は淡々と振りかざれる。

「正しさ」の名のもとに、

理不尽が粛々とまかり通る。

 

それでも、やはり

僕は生きていかなくてはいけないんですよね。

希望とともに。

 

<いのち>を取り戻す。

 

お伊勢詣り

昨日は伊勢神宮にお詣りに。

 

 古の習わしどおり、

外宮(衣食住を司る豊受大神)から

内宮(主神・天照大神)へ。

神恩感謝のご祈祷の後、

夕暮れまでに月読宮にも入ることができた。

 

神域に在るときは、ほんのひととき、

日常の流れがすーっと停止して

己の心を大きな自然の鏡に映すような

そんな感覚を持てるのが好きだ。

 

木立ちの間を速歩で駆け抜けるうちに

節目を迎えたこの一年余の間に

通り過ぎていった幾多の出来事が

ふつふつと湧き上がっては去っていく。

 

「修羅場」っていうか、事態の真最中には

それこそ天地がひっくり返ったように

感じていたいくつかの出来事さえ、

今では心の中に静かに澱を為して眠っている。

 

杜を歩むうちに漂いゆく物思いは

当時は烈火のように燃え盛った感情も、

遠くの風景のように眺めることを助けてくれる。

太古の昔より、幾多の魂が心を鎮めてきた場所には、

そんな力が宿っているような気がする。

 

今は、こうして無事にいのちを永らえ、

幾多のいのちと心を通わすことができる、

そのことに、ただ、ただ、感謝。

 

--

 

年も暮れかかったこの時期

ふと思い立って神社を巡るなかで

改めて気づかされたことは

「対」のもつ重要な意味。

 

正しさを貫く魂と、荒ぶる魂。

神はいつも、対を為して在る。

 

光と闇。

意識と無意識。

言葉と感情。

男と女。

秩序とカオス。

 

あっちの極からこっちの極へ。

 

世界はもつれあう対を形成し、

生成と消滅を繰り返しながら、

静かに物語を織り成していく。

 

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働き過ぎ

www.asahi.com

 

涙出た。

みんな、本当に、がんばってる。

そう。

少し、休もうか。

空を見て、雲が流れるのを見て風を感じ、

木々の間を跳ねてまわる鳥の声に耳を澄まそう。

子供たちが走り回るのを眺めて

未来のことに想いを馳せよう。

そして、少し力が溜まったら、

ぼちぼち、いこうね。

重力をどう考えるかが大きく変わった ⇒ 宇宙(時空)の捉えかたが変わった

 
これは超~面白いなぁ。

.

他のことが頭から全部吹っ飛ぶくらい

僕にとっては、大きなインパクトがあった。

いやぁ、固定観念をだいぶ覆すんじゃない?これ。

頭を整理してこの意味をちゃんと理解したい。

(論文読む時間と脳みそキャパが足りないかなぁ・・・)

.

重力は宇宙の基礎的な力ではなく、

“創発的な現象”だとする捉えかた。

.

この世界の成り立ちを理解するうえで、

世界を「モノ」(粒子)の集まりとしてではなく、

全体としてひとつの「場」としてとらえる、

そんなパラダイム転換が確実に進行するなかで、

最後の牙城が陥落しそうな感じ。

統一理論近し!?

.

重力は「モノ」が存在するところに現れる

力(相互作用)、時空のゆがみとされてきた。

でも、宇宙の観察をしていたら

いくつか辻褄合わないことがあって、

「モノ」が無いのに重力が測定されるのはおかしいから、

何か存在することにしよう ⇒「ダークマター」。

でも、それってなかなか無理筋じゃねぇ?

http://tocana.jp/2016/12/post_11833_entry.html

.

ってことで、エントロピック重力の登場。

実在する「モノ」の間に働く「力」ではなく、

時空におけるエネルギー分散の変化過程、

つまり、エントロピー増大過程として重力をとらえる。

別の言い方をすれば、散逸構造(エネルギーの河の流れ方)

のなかに重力を見ること。

.
※エントロピー増大とは「宇宙の河」として

 エネルギーが集まったり離れたりしながら

 海へ、海へと、流れていくことに相当する。

.

重力を「エントロピックな力」として捉えることの意味は、

たとえば浸透圧をイメージするとわかりやすいかも。

(ナメクジに塩を振ると、濃い状態を薄めようとして

 体外に水が噴き出して死んでしまうやつですな。)

.

薄い溶液と濃い溶液が膜を隔てて並んでいるとき、

水は薄いほうから濃いほうへと膜を透過して流れ、

最終的にどちらも同じ濃度になるまでそれが続くのだが、

こうした濃度の差異が「水の流れ」を生み出す

ポテンシャル =「力」となっているところが味噌。

.

時空 : 水

質量(エネルギー) : 溶質

重力 : 浸透圧

みたいな感じかな?(けっこう適当なので後で議論要。)

.

個人的には学生のころから、物理法則と生命科学、

ひいては社会科学(経済学や社会学)、

さらには倫理や宗教との接合の動きに

これまでずっと関心を持ち続けている。

.

プリゴジンが非平衡系のエントロピーに着目して

散逸構造の理論体系を生み出し、

その流れの上にできた複雑系~カオス理論を経て

生命現象の描像は大きく塗り替えられた。

.

ここで重力現象を非平衡熱力学に組み込むことは

生命と非生命、観察者と被観察者との境界を崩し去り、

統一現象、場として捉えるための武器を与えてくれる、

そんな気がしている。

.

宇宙論的スケールの生命(=生きる意志)に関して

論が展開できる数学的な表現の足掛かりができるかも。

いやはや、こりゃ何ともワクワク。

.

こうなると、物理エントロピーと情報エントロピーとの

数学的な接合面(境界条件)がきちんと整備できれば、

「生命」と「意志」や「知」との数学的橋渡しにも近づいて、

「神」はより近く、ヴィヴィッドに

捉えられるようになっていくのだろう。

.

「モノ」に執着することなかれ。

この世界は時空とエネルギーの戯れ。

されど、そこに神は厳然と存在し続ける。

.

・・・・

大学院時代に光(電磁場)のエントロピーについて

理解を深めるため、悶絶しながら格闘していた日々が

今更ながらまざまざと蘇ってきて嬉しいわぁ。

物理学、マジ楽しいよなぁ。やっててよかった。

.

今、農業生産と流通の現場に身を置きながら、

あるいは経営者として「会社」という「生命」を

護り育てる役割を与えられるなかで、

自分が長らくかけて学んできたことが

余すことなく意味を与えられ、接合されていくことに、

ただただ、畏敬の念を覚える。

.

この世界の恵みに感謝。

どこまで遡るか

www.sbbit.jp

 

今、日本を本当に活力のある国にしていくためには、

心の底にある情念の流れを「転轍」するような

仕掛けづくりが重要だと感じる。

.

そしてこのブレイクスルーのヒントは

明治維新という、強い外圧によって促された

表層・上部構造の変革(秩序同士の衝突)に求めるのではなく、

庶民のいのちと暮らしを巻き込んだ混沌状態から

秩序が生成された時期、つまり戦国時代まで遡って、

解きほぐしていく作業が必要なのだと思う。

(「真田丸」の人気もそのあたりの心情が背景にある?)

.

恐らく、ここで重要な鍵になってくるのは、

「いのちの共創」をどう扱うか、になるだろう。

.

豊臣秀吉が「太閤検地」によって生み出した

「農民」という階層を固定する支配構造、

庶民を「生かさず殺さず」支配する機構は

社会を安定化させるうえで多大な役割を果たした。

.

武士による農民の支配。

国家による民衆の支配。

姿形を変えながら、およそ500年近くに渡り、

それは曲りなりにも機能してきた。
.

そしてそれはそのまま、

意識による身体の支配という

個体の制御機制のホログラムにもなっていった。

.

意識は構造をつくり、構造は意識をつくる。

「社会」なるものは、ひとりひとりの意識が

集合化し、実体化したものに他ならないのであるから。

.

国家、共同体(村)、金、知・・・

「権威」の体系をつくり出すことにより、

この類型に基づく生体制御システムは

その働きを深く、広く遍在させていった。

.

力を求める者は、力を実在させる。

.

だが、

だが、である。

.

現代に生きる人間、とりわけ概ね40歳以上の人間が

これまで当たり前と受け止めてきた社会構造、

「力」による支配構造というものは

実は「ほんの」500年ほど前に生まれ、固定化された

世界描像=パラダイムにすぎないのではなかろうか。

.

そして、これからやってくる時代において、

人類と地球の生命を統合していくパラダイムは、

意識と無意識(あるいは身体)、

個と全、男と女、陰と陽が

反転を繰り返しながら織り成す、

多種多様ないのちの物語、時の発展過程、

「結びの糸」のような世界像=曼荼羅を

土台にしたものになっていくのではなかろうか。

.

そうしてそこに立ち現れる生体制御のありかた、

すなわち生命を通底する「倫理」のありかたは、

先に「答え」があるFEED FORWARD機制、

PDCA的生体制御方法の一本槍ではなく、

未知の混沌のなかから解を産み出していく

FEED BACK 機制、OODA的生体制御方法を

自在に織り混ぜた様式になるのであろう。

.

・・・と、ややこしい言葉を重ねたけれど、

実はこれは、さほど難しいことと恐れることでもない。

.

日本に生まれた私たちにとって、

本当に頼るべき導きの糸は、存外、

日本人の暮らしに深く根付いた知恵、

それは例えば宮本恒一が描写した

「忘れられた日本人」に見られるような

「いのち」の存在様式を「思い出す」ことにある。

.

そう、答えは外にはない。

僕らの心の奥底をじっと静かに見つめれば、

そこに横たわっているような気がしてならない。

 

必読

生産性という言葉、時間の使い方、非常に示唆に富む

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(引用)
では働き方改革するには何をすべきか。そのポイントは「生産性と創造性を上げること」だという。
 ここでいう生産性とは、より高い成果を効果的に短時間で出すことだ。高橋氏はここで、オリックス・ビジネスセンターの例を挙げた。
 オリックス・ビジネスセンターでは、徹底的に仕事の分析と可視化を行ったという。誰がどんなことをやっているか、リアルタイムで全員が共有することで、生産性が向上したのだ。
「このように第一線の仕事を単純化して、若者のやる気で乗り越える組織モデル自体が終焉を迎えているのです」(高橋氏)