日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

GとLの経済成長戦略

昨日の長浜行き~京都での通院、
移動の最中に、富山和彦氏の本を読みながら、
つらつらと色々考えてました。
.
途中いろいろと頭を悩ませるGとLの荒波、
インド系ネパール人のまくし立ててくる電話やら
頭の冴え渡る80過ぎのベテラン百姓の突然の襲撃やら
インターンで滞在中のNEW YORK出身の若い娘の人生相談やら
何とか無事かわしきって(なんじゃこのカオスw。)
さきほど無事読了。
うん、なかなかなよい時間だった~(^-^)
.
つづめて言えば・・・
製造業やIT業界のように、モノや情報といった
持ち運び可能なアイテムを扱う
グローバル(G)経済と、
飲食や医療や福祉、教育といった
「その場」にいないと体験できない
コトやサービスを扱う ローカル(L)経済とを
全く別の枠組として考えなあかんのちゃう?
っていうお話しでした。
.
とくにローカルについては
人口動態変化(=年寄ばかりになること)
の意味がまだまだちゃんと理解されてないから
そこんとこヨロシク、ってことを強調されていました。
.
藻谷さんの「里山資本主義」の指摘をくみ上げながら、
これから時代は”G”から”L”に変わるんだ!!!
という暑苦しい陶酔感はさらっと軽くいなし、
いや、豊かになるにはどっちも必要だから、
と淡々と説いていく姿勢に好感を持ちました。
.
全体に「至極ごもっとも」という感じ。
思考を整理するうえで、
大変よい刺激をいただきました。
.
オリンピックで金メダルとらなあかんやつと、
ともかくも朝昼晩、皆の暮らしを守るやつと、
そりゃ、組織の経営者やスタッフに求められる
マインドもスキルもがらっと変わるわけで。
.
農~食の産業においてはどうだろう?
生産技術や品質を生み出していく
「仕組」やノウハウづくりについては
普遍的(グローバル)な要素が効いてくる。
でも、生産や流通の日常のオペレーションは
どこまでも地域密着性を伴っていく。
.
ちなみに、今の僕がやってることについては、
当初 ”G” の世界から離れて ”L” に集中しようと
スタートしたはずだったけど、
自らの属性から”G”を指向するようになり、
ひとりの経営者がG とL 両方を見ているから
周囲(現場)の人たちが混乱してしまい、
色々大変なことになった、という理解。
.
あの、そのあたり近々しっかり整理します。
世界に打って出る部分(仕組づくり)と、
地域インフラを担う部分(生産・流通)とを
どういう経営スタイルで両立させるか、
これからのビジョンがだいぶ固まってきた。
.
よっしょ、やるよ~。

www.php.co.jp

法といのちの尊厳

これ好きだなあ。
法といのちの尊厳について考えさせる話。

なんならこの際ついでに、
お役所の人たちが心と思考を停止して
法の執行マシーンになってしまうことを
防ぎ制する法律ができないものかな。
法の精神としては、公務員服務規程とか、
本当はそうなっているんだろうけど。

所詮つくられたもの、恣意的な要素を
取り除くことなど出来ないルールを
安易に固定化、絶対化して押し付ける行為は
人道に対する犯罪になりうる。

法律も金も、所詮ツールだということが
分からない思考停止の人が多すぎる、
そんな時代がつづいたことの残念さ。

さらっと、しれっと変えよう。
頭と心を使い続けなきゃ、ね

 

www.huffingtonpost.jp

二刀流の共同体

日常のオペレーションを進めながら、
破壊的イノベーションの探索を続ける、
公式と非公式、秩序と無秩序を両立させる、
そんな「二刀流の共同体」という
組織の在り方の模索。

ど真ん中かも。

リーダーのありかたは
カリスマではなくファシリテータ。
飯食ったり散歩したりしながら
学びを深める機会が与えられる。

国家ではなく、家族でもない、

 

bizzine.jp


アクティブな「村」をつくるイメージで
企業統治をするということかな。

ほっとした話。

この人、超すごいなぁ。

これだけのことをさらっと表現できる

若い知性が育っていることを知ると

肩の荷が下りたように感じるし、

何だかものすごくほっとする。

未来は明るい。

 

僕はゆずり葉のように生きていきたい。

 

[佐藤航陽のブログ]

偶然でも必然でもない世界を生きるということ、動き続けることの大事さ | 佐藤航陽のブログ

大切にすることメモ◎2017年

自力救済を放棄する。

我が身のみ救うことに意味はない。

 

足りないことは気にしなくていい。

心が満たされていればそれでよしとする。

 

世間体は気にしない、媚びない。建前は不要。

常識なんて壊すためにある。

 

怒りや悲しみ、不安や恐怖に吞み込まれない。

深呼吸。真っすぐ見つめて、静かに背筋を伸ばす。

 

予定通りにいかぬ、努力が報われぬことを恐れない。

何者も責めず、心を鎮めてただ事態を眺める。

 

立てずに済む計画や予定はそもそも立てない。

現象の成り行きをじっと見つめ、ただ予測を立てる。

 

夢や希望、野望を持つなら抽象的、感覚的でよい。

愛とか世界平和とか言っておけばいい。

 

ひとりぼっちの人に出会ったら傍に寄り添う。

寂しさを埋めることがブレイクスルーの鍵。

 

物事を決めるときは、恐れや不安を

真正面から受け止めるような選択をとる。

 

身体の声を聞き、感情を露わにする。

大丈夫、意識は後から追いかけてくる。

 

宇宙の法則を理解し、言葉にすることに時間を割く。

全ての学問、宗教、芸術は統合されつつある。

 

お金より、知識より、道徳より、法律より、効率より、

<いのち>が伸びゆく道を優先する。

 

僕らの仕事は<いのち>を育てることだ。

そのことを片時も忘れないよう。

 

この道を歩き尽すべし。

年の終わりに想うこと

2016年が終わろうとしています。

 

今日も大晦日とはいえ、

何やかんやと積み残しの雑用があって、

地主に年貢(地代)を手渡しに行ったり、

来春のレタスやトマトの培土に使う

「もみがら燻炭」を焼いたりしていました。

 

f:id:Kunihiko_Murayama:20161231174816j:plain

 

ささっと焼いて、年越しは少しはゆっくり、

などと思っていたら、もみがらの水分が存外多くて

なかなかこんがりとはいかず、気付けば辺りは真っ暗に。。。

 

金星と下弦の月が天に昇りかけていました。

 

f:id:Kunihiko_Murayama:20161231175006j:plain

 

 

それにしても、いやはや、

今年は人生で最も長かった一年

のような気がします。

 

振り返れば、

長年の無理が祟ってすっかり身体を壊し、

自ら始めた農業生産や流通の事業は

簡単には越えられない幾多の壁にぶちあたり、

妻子は去り、寝泊りする場所も無くなって

会社の事務所に転がり込んだ形のスタートでした。

 

赤ん坊のように無力な状態に戻って

もう一回人生をやり直すような感じだったから、

長~く感じたのかもしれませんね。

磁極が入れ替わるような

強烈な変化が自分のなかで起こったというか。

 

僕はこれまでずっと、

お金や地位、目先の安定や保身より、

「世界が幸せになる方法」を

馬鹿正直に模索しつづけてきたように思います。

 

自分の幸せは基本的に後回しでよろし。

そんな姿勢を「正しい」と思い続けてきたし、

他人にも求めてきたと思います。

 

与えて、与えて、与えて。

 

それはどうにも無理があったんですね。

そんな風にしてたらすぐ金なくなるし、

暇なくなるし、身体は壊してしまう。

家族だってたまったもんじゃない。

でも、やめられない止まらない・・・。

 

で、ついに壊れた。

 

それまでは、天から与えられた力のおかげで、

わりとどんな時、どんな状況でも、

何とかかんとか乗り越えて、

事態をコントロールできちゃったんですね。

 

でも、その傲慢さがバーンと壁に打ち付けられ、

粉々になるまでぶちのめされた。

 

世界のなかに「正しさ」を実現するために、

山頂を目指して登り続けてきたんだけど、

やがて傾斜がどんどん、どんどん、きつくなって、

で、いやはやこりゃ大変だな、どうしよう、

って思ってたら、足元をパーンと掬われ、

気付けばゴロゴロゴロ・・・

って激しく滑落していった。

 

ダメだ。

身動きできない。

ただその場でへたりこむ。

 

喘息発作で息が苦しい。

頭が全く回らない。

  

やるべきことがやれないままどんどん積まれていく。

カオスが濁流のように自分を飲み込んでいく・・・。

 

僕はこれまで、「弱い者」の立場を

本当に理解したことがありませんでした。

 

「普通に」過ごしている人間は

傷ついた者に気付かず、無視し、

空気や道端の石のように扱うんですね。

都合よく利用し、踏みつけていく。

しかも、無自覚に。

 

人間の鈍感さ、狡猾さというものの存在を

これまで、頭で理解していたし

嫌なもんだな、と思ってはいたけど、

実際にそっちの側に立たされてみると、

それは想像を絶するくらい、強烈なものでした。

  

こういう状態になって、生まれて初めて、

「殺したい」というくらいの、

激しい怒りと憎悪の感情の存在を

知ることになりました。

 

自分が「力」を持っていた時には

あまりに鈍感で気付かなかった、

人間のどうしようもない醜さ。

 

「力」に負け、「力」に媚び、

やがて力を振りかざしてしまう卑屈さ。

我が身の安定と「予定通り」を守るため。

自分の存在を脅かしてきた何者かに復讐するため。

 

自分の生存と安泰を図るために、

弱い者は無視し、存在しなかったことにし、

雑草のように、虫のように踏みつぶしていく。

 

それは<いのち>を忘れる世界。

 

国家、法、村落共同体、利権、

論理と効率、指導者、道徳・・・

 

「力」は淡々と振りかざれる。

「正しさ」の名のもとに、

理不尽が粛々とまかり通る。

 

それでも、やはり

僕は生きていかなくてはいけないんですよね。

希望とともに。

 

<いのち>を取り戻す。