三国越林道
ここ最近は脳ミソを酷使していたので
昨日はしばし俗世を忘れるために山へ。
かって修験の聖地として栄えた
鷲峰山を西に仰ぎ見ながら
伊賀・甲賀・山城にまたがる
「三国越林道」周辺を彷徨しつつ
古の人びとに想いを致しました。
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秘境とも呼ぶべき自然の懐のなかで
思いの外国際色豊かな営みに出逢い
歴史の中に現れては消えゆく
異形の者どもの創造の魂に身を浸す。
情念は時空を超えて流れ、流れゆく。
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45歳になりました。
世界各地に散らばる様々な方々から
お祝いの言葉や嬉しいお誘いをいただき
人の縁は斯くもあるものかと
その心を有難く想っております。
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幼き日々に与えられた仕業のために
心に築いた壁を崩せぬまま苦しみ続ける
幾多の小さく弱き魂に心を配りながらも
己の芯が邪に浸されることなく
自由活達に伸びゆくことを止めぬよう
天地に充ちる気に身を委ねていく
そんな一日になったように思います。
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生命よ蔓延れ。
弥栄。
(日本人)
国際的な価値観調査によれば、
日本人は世界で最も世俗的な国民だ。
日本人は世界の誰よりも、
「他人に迎合するよりも、自分らしくありたい」
「自分の人生の目標は自分で決めたい」
と考えている。
ご利益のない神を信じず、
地縁も血縁も捨てて
「一人一世帯」の無縁社会に生きている。
こうした特異な価値観を私たちは
当たり前のことと思っているが、
じつは日本人は歴史の最先端に
立っているのかもしれない。
**
私たち日本人に残された希望は、
いまの世俗性を維持したまま
自由な自己表現のできる
社会をつくることにしかない。
これは矢印をそのまま右に向け
図の右上にある空白部分、すなわち
誰も見たこともない場所を目指すことだ。
そこは…いかなる超越者(絶対神)も信じない
徹底的に世俗的なひとびとによって構成される
誰もが自由に自己表現・自己実現できる社会のはずだ。
**
すべてのローカルな共同体(伽藍)を
破壊することで国家をフレームワーク
(枠組み)だけにして、そこに退出の自由な
無数のグローバルな共同体を創造していく。
後期近代(再帰的近代)の終着点となる
その場所がユートピアへの入口だとするならば、
そこに最初に到達することが、
歴史が日本人に与えた使命なのだ。
―――以上引用(一部省略)―――
友人の勧めで橘玲の(日本人)を読了。
本書の発行は2012年5月ですが全く古びません。
現代の問題の構造と日本人の心性について
非常に高分解能で描かれていると感じました。
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同じく歴史の大局を見つめるフレームを
提供する知的チャレンジなのですが、
昨年末に読んだ佐藤航陽の「お金2.0」は
人類の可能性~テクノロジーへの信頼、
圧倒的な楽観に支えられているのが心地よく
一服の清涼剤のような感じでした。
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.
対して本書は日本人の「こころ」に関する
表層的な思い込みを丁寧に剥離して
建前に支えられた偽りの姿でない
本音の在り処に肉薄していくことで、
「もう嘘をつき続けなくていいんだ」
という解放感を与えてくれる感じですかね。
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僕自身の最近の思考フレームでいえば
「お金2.0」は【プロジェクト管理】
を支える基礎フレームを与えてくれるし
(日本人)は【ファシリテーション】を
より豊かにするための足場になりそう。
僕が今抱えている様々なプロジェクトにも
さっそく応用してみたいと思います。
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執筆した頃に書かれた著者のブログ↓
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軸
明けましておめでとうございます!
お蔭さまでこの正月はのんびり。
今日は地主神(田守神社)にお参り後、
ふと思い立って「御殿山」の山頂へ。
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うちの畑はその山麓にあるのですが、
どうやらちょっとした霊山のようで、
地元のおんじゃんから聞いた言伝えでは
ここで農業以外の事業をはじめると
神罰があたるのだそうな・・・。
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うーん、思い当たる節があるかも!?
まぁひととおり受けるものは受けてきた、
なんかそんな気もしますけどね(;´∀`)
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昨晩は久しぶりに「もののけ姫」を見て
自然とテクノロジーの共生について
改めて考えを巡らしていたところでした。
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弱き者を包摂して共に生きる理想郷を求め
壮絶な「神殺し」を淡々と遂行する【エボシ】
獣たちと運命を共にして生きる【サン】
ムラを守るため祟り神を殺し、そこで受け止めた
悲しき呪いと向き合い続ける【アシタカ】
その縺れ合いは永続していくかに見える…。
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人と自然
「人道」と「天道」
経済と道徳
個と全
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高度成長を経て「個」の豊かさを追ううち
長らく二律背反のように描かれてきた
観念の運動(ダイナミズム)は
果たしてこれからも成立するだろうか?
.
否。
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僕はもはやこうした認識の枠組が
世界をとらえる視座(スコープ)として
不適になってきたように感じています。
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では、僕らが手がかりにすべき認識体系、
あるいは世界を捉えるための道具立ては
どういうものであるべきでしょうか?
そしてその下で、僕たちはどのように
次の時代を描いていくのでしょうか?
.
・・・てなことを考えながら、
今年自分が取り組んでいくべき事柄を
構造的に整理しようと思っていたら
なかなか収集がつかなそうだったので、
手早く「テーゼ」だけでも拾い上げることに。
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曰く
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★ものごとの原動力は差異にある
~生命を散逸構造としてとらえる
★「ありのまま」こそ多様性の源
~身体知・勘・共同性を観る
★「いのち」を乗りこなす
~プロジェクト管理技法
★分析から統合へ
~ファシリテーション技法
★「オーガニック」という戦略の可視化
.
今年はそんな軸を掲げながら、思索を深め、
諸々の事を為していこうと考えています。
具体的な内容についてはブログや講演などで
かみ砕いて言語化していきますので、
ボチボチお付き合いくださいませ。
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それにしても、どうやら、
僕にとって本質的な「イシュー」は
己の生命を超えたところにあるようです。
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もっともっと生産性の高い仕事、
もっともっと生産性の高い生き方をしたい。
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でも、それは、
お金の観点からみた生産性ではありません。
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時間的、空間的な広がりをもった
ネットワークとして存在する【いのち】
すなわち、人類や地球全体の広がりを
本当に豊かにしていく【何か】を生み出せる
そんな生産性を高めていきたいのです。
.
真に事が成し遂げられ、世に広がりゆくまで
ゆっくり根を張り、葉を広げる思考の「一貫性」
そしてその思考にコミットし続け、
我が身を前線に放り込んでいく「倫理性」
.
時には「伏流」のように人の目に触れず、
時には堰を切ってあふれ出す奔流のように、
いつも流れ流れ続ける「運動体」として
生きていきたいと願うばかりです。
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共にこの世界を生きていかんとする皆々さま、
本年もどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>
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田守神社(たもりじんじゃ)
御祭神:彦屋主田心命、別雷神、木花咲耶媛命
(伊賀市蔵縄手353)
2017年の振り返り
今年もいよいよ終わりですね。
昨日仕事納めだったので、
ひっそりした事務所でひとり、
一年の振り返りなどしております。
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そういえば
年頭に掲げた自分のコアテーマは
【自力救済を放棄する】
だったわけですが、それが一年を通じて
出汁のように徐々に沁みてきたかなぁ。
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ただ一心に眼前の事象に向かう。
言い訳しない。打算を捨てる。
目先の安全・リターンに囚われない。
「みんな」の幸せを願い続ける。
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自分が胸を張って「善い」といえる道を
迷いなく選び、即行動し続ける。
目の前の相手に「一番」のものを
ためらいなく与え続ける。
弾き返されても、無視されても、
前へ、前へと、身を投げ続ける。
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歩け、歩け、
犀の角のように
.
自灯明 法灯明 …
.
でも、本当に不思議なものだなぁ。
色々なものを捨てれば捨てるほど
一人じゃなくなっていったよ。
だんだん「なかま」が増えていった。
心にこびりついていた苦しみも
じんわり、じんわり和らいでいって。
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楽になっていいんだ、それでいいんだ。
オレは一体何を守っていたんだろう?
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2017年。
出会いがあり、別れがあった。
様々な悦びがあり、様々な痛みがあった。
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混沌極まって喜劇の様相を示す世界のなか
人類は強く一つに結びつけられていることを
身につまされて感じた一年だった。
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生と死はいつも背中合わせだ。
新しい生命がこの世に与えられた。
あっちに旅立っていったなかまがいた。
いのちの重さ。圧倒的ないのちの重さ。
それを思えば、諸々のツマラナイものなど
ポイっと投げ捨ててしまえばいいと決めた。
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高速で危うく自らの生命を落としかけながら
奇妙な静けさに包まれていたことに吃驚した。
死は恐れても仕方ないんだな、きっと。
それはやがては僕らが帰すべきところだから。
むしろ恐れるべきは「己に不正直であること」。
その事実を骨の髄に打ち付けられたようで、
そのジンジンした感じがまだ身体に残る。
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与えられた命、拾われた命。
せっかくなら全うし尽そう。
まだまだ惰性が抜けないところはあるけど、
自分に対しても、みんなに対しても
大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら、
ちゃんと顔を上げて歩んでいきたい。
.
「生命」というプロジェクトは
絶えず生成し、消滅しながら、
他の幾多の「生命」のプロジェクトと出会い、
衝突し、相互作用し、融合し、分裂しながら、
その一段上のレイヤーに生成される
「メタ」プロジェクトとして織りなされる。
.
そんな感覚を持てるかどうかが、
経営に携わる者には重要なのかもしれない。
否、これからの時代はきっと、ひとりひとりが
もっと経営者的な存在になるのだろうな。
.
時代の転換期に立つ。
面白いじゃないか、楽しんでやろう。
今はそんな気持ちになっています。
.
それにしても、
今年は幾多のつながりのなかで
常に磨き、磨かれながら
圧倒的なグルーブ感に包まれていった
そんな一年でした。
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今、こうして共に歩んでいただける皆さまに
心から感謝の思いを伝えたいと思います。
.
ありがとう。
これからも共に生きていきましょう。
紫香楽宮
Global を睨んで Local に動く。
.
昨晩は伊賀市の北隣にあたる
.
5年前に伊賀ベジ(旧・村山農場)で研修し、
当地で就農した木村裕則氏のお誘いで
周辺の農家らで地域を盛り上げるための
寄り合いの場に参加させてもらいました。
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木村氏はかつてAVEXに所属していた
がちプロのバンドマンというキャリア。
アニメ One Piece のTV主題歌の作曲も…。
One Piece Opening 9 「Jungle P」
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こちらのバンドでBassもやってましたね~。
FRYING DUTCHMAN 「humanERROR」
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そんな彼も今は親元の信楽に戻って根を張り、
地域の若手リーダーのひとりとなって
農業~地域起こしに奔走しています。
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僕らは今、「京都オーガニックアクション」で
京都市内~京丹後間の共有ルート開拓中ですが、
滋賀~三重~奈良の東側ルートも検討中です。
木村氏にはその要になってほしいなぁ…
という個人的な願いもあっての今回の参戦。
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この地域は「秀明自然農法」の拠点もあり、
わりと色の濃~い農業関係者が多いのですが、
若手もイキのいいのが転がっていて面白そう。
うまくネットワーキングできるといいなぁ。
※秀明自然農法ネットワーク
http://www.snn.or.jp/index.php
.
ーーーーーー
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って、仕事の話はこの辺まで。
実はここからが本題です(長ぇ~…)。
.
実は、信楽にあった「皇居」の新たな遺跡が
最近発見されたそうで、それがちょうど昨日、
プレスリリースされたところでした。
.
【紫香楽宮】ってご存知ですか?
745年、日本の都は信楽にあったそうです。
本当に一時的だったらしいですが。。。
.
てことで、今日は昼頃から猛烈に歴史を勉強、
その頃この国に起こったことを調べました。
.
農業者として決して無視できないのがコレ。
― 743年【墾田永年私財法】制定 ―
これが日本の農と食を考えるうえで、
重要な歴史的転換点だったのではないか、
という気がしてきました。
.
この法の肝は、なんといっても、
「自分で拓いた土地は自分のものにしていい」
ってことですね。
.
つまり、それまで(今の中国みたいに)
日本の全ての土地は皆のもの(国のもの)
だったんですが、この法律の制定により
自ら投資~開拓して新たに得た土地については
完全私有が認めらることになったんですね。
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とはいえ、これを契機に新たに土地を得たのは
投資するだけの資産をすでに手にしていた
そこから荘園制が発達、持てる者持たざる者、
貧富の差がどんどん拡大していったようです。
.
そこに至る100年ほどを振り返ってみると、
天智帝~天武帝という稀有な才能を持った
エリート達がぐりぐりとトップダウンで
新しい経済システムを構築するために、
庚午年籍、班田収授法といった新ルール創成。
.
お隣中国(唐)のシステムをパクりつつ、
実地で運用しながら徐々にカスタマイズ、
誰がどこで何をどのくらいつくっているかを
把握するためのデータベースが構築され
「律令制」という国家運営基盤が完成した…
.
と思いきや疫病やら反乱やら色々大変になり、
聖武帝は迷いに迷い、遷都を繰り返しながら、
もう力のある人たちで勝手にやって頂戴…
とばかりに定められたのがコレ。
― 743年【墾田永年私財法】制定 ―
.
を思い起こさせるような制度ですが、
後から歴史を振り返ってみたときには、
これが経済システムに大きな変容を遂げさせた
転換点だったのかもしれませんね。
.
ちなみに聖武帝が「大仏建立の詔」を
発したのは、紫香楽宮に在った時のようです。
「あとは神仏に頼りきるしかない」とばかり。
聖俗両面の社会インフラの大転換期こそ
「天平時代」ということかもしれません。
.
ついでにいえば、お隣の我らが「伊賀国」は
その後東大寺の荘園として発達しました。
歴史を下り、やがてその圧制に耐えかねて
地元の豪族らの内乱が常在化したのが
「悪党」というやつで、言い方は悪いけど、
まぁ今のISみたいな連中が現れてきた。
ホラ貝もった修験道やら何やらが入り混じって
これが「忍者」の源流であったとか…。
.
ふー、書きすぎたなぁ。
こんなところまでお付き合いいただき
ありがとうございました<(_ _)>
.
おっと、こんな遊んでる場合じゃない、
無事に年越しできるかどうか、
足元のキャッシュフローを追いかけなきゃ(;'∀')