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日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

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そうか、「~活」っていうのは、
これまで共同体がやってくれたことを
自己責任でやらなきゃいけない、
ってことだったのか。
腑に落ちる。

...

そこから着想して、思ったこと。

生半可な知識であることを恐れずに言えば、
仏教の世界には自力救済を目指す小乗系~密教系と
他力本願の大乗系~浄土宗系とがあって
進化形態としては後者が後から出てきたけど、
今はだんだん前者の形態のよいところを
取り戻す必要が出てきているのではないかと思う。

西日本は全体として小乗系の傾向が強く残るが、
とりわけ伊賀のあたりは密教真言宗系(高野系)の色が強く、
心理的基礎としては助け合いよりも自己責任の色が強い。
誰かに委ね切るということをしない。
だからこそ、忍者のようにきわめて独立性が高く、
戦時には親族でも裏切ることさえも受け入れる、
傭兵集団が成立した土地柄なのだろう。
(僕のように東の浄土系の発想にどっぷり甘え、
なおかつクリスチャンの甘えも入り混じった人間の
根性を叩き直すにはちょうど良い土地柄だった。)

そうはいっても社会性は維持される必要があるので、
そこは独特の距離感覚での共生が図られる。
お互い信じ切ることはないけど、
互いに助け合うところは助け合う。
自立した大人の相互連帯。

この地域の村の共同作業(出合)は、全国的に見て、
古い形がまだ非常によく保存されているのではないかと思う。
拘束力の強さがすごい。政教分離とか行政指導とかどこ吹く風。
毎週末に共同作業って、なかなか大変なことだと思う。
(僕はどっぷりつかっているわけじゃない。主に観察してるのみ。)

村の共同体の縛りなんて、面倒だし、
率直言って強制的で、暗くて、嫌なものだ。
でもそこの制度を上手く設計できているかどうかが、
共同性が生き残るかどうか、に大きく影響する。

土地土地のルールはそれぞれに多様なものだけれど、
結果的・相対的に、より普遍性が高く持続可能なものと、
そうでないものがある、ということなのだろう。
ここらの仕組みは善し悪しはともかく「しぶとい」のだ。

このあたりの共同性の感覚に関しては
社会から一旦ドロップアウトしたような
【へんこ】な有機農業者らのネットワーク形成の際に
大変参考になった部分でもある。

腹の底までは晒さないけれど、
連携の範囲を広げられるところまでは広げていく。
優しさとか思いやりとかじゃなくて、
「人の情」も含めた「現実」を互いにドライに見切った上で、
うまく機能しそうな方法を選ぶ。

乱世を生き残るためには、
そういう社会的感覚に関する知恵が求められる。
そして、案外、そうしたドライな関係の先に、
ほんのりと感じられる「人の温かさ」が、
実は、確かに存在している気がしないでもない。

かつて柄谷行人あたりでやっていた
「アソシエーション」の形っていうのは
このあたりを狙ったのだろうな、
と今さらながら何となく理解される。
NAMとかうまくいかなかったけど、
ああいうトライをこれからも何度でも
繰り返さないと駄目なんだろうな。

ネットワーク形成していくということ。

小さな集団からのトレーニングだ。
赤の他人とともに生きるために必要な知恵。
家族も、会社も、地域も、国も。

温故知新。

全ての知恵を動員して。