バトンを渡す
世界はこれからどうなっていくんだろう
自分はそこに何を投げかけたいんだろう
右脳を走らせてイメージを形成しながら
左脳が言語や数字で追いかけていく
直観と論理との追いかけっこ
熱力学にとりつかれて
エントロピーの研究をしていたときだって
ずっとそういうスタイルでものを考えてきた
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でも最近はイメージがつながっていくのが速すぎて
言語はまだしも、数字で追いかけるところまで
なかなか時間をとれないまま
ズルズルっと流されてしまっている感じもある
表現が追いつかない。
伝えきれない。
ペースを緩めなきゃいけないのか?
でもそんなことできない。
身体のこと、キャッシュのこと、
世界のできごと、押し寄せる波、波、波
不安に呑まれないようひたすら突っ走る
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何を慌てているの?
どこへ?
幻を見ているのか?
むしろ老化して呆けているのではないか?
昔、僕に言ってくれた人がいる。
お前は地上30cmの綱渡りをしているみたいで滑稽だ、と。
僕の目には足元に奈落があるように見えていても、
周りの人からみれば何でもないような小さなこと。
それを一人狂ったように大げさに騒いでいるって。
無駄なエネルギーを使い続けて…。
でも、僕はそうやって生きてきたし、
きっとこれからも
そうやって生きていくしかない、
なんだかそんな気がする。
それが僕の強みであり
致命的な弱点でもある
それはいかんともしがたい。
感受性と呼ばれるそれを
僕は大切にして生きていきたい。
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自分を大切にしてね、
って言ってくれる人に
僕は心から感謝をしているけれど
でもやっぱりきっと
燃え尽きるまでこうするしかできない。
自分を燃やして生きているって、きっとそうだ。
でも時折、本当に灰になってしまいそうで、
あ、立てなおさなきゃ、と思うときがあるんだ。
心を鎮めるため、
溜めに溜めた伝票の束を整理して
ギリギリ錐もみ飛行のキャッシュフローを見定めて
心臓が飛び出そうになるような不安を
ひとつずつ消してみる。
少しだけフラットに。
それにしても、僕らの船は僕らをどこに連れていく?
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今日は珍しく現場で指導。
僕が現場から離れてからというもの、
散々な出来になっているハウスの状況を
少しでも立て直そうと思って
僕らのクラシックな設備をつかって
どうやって精度よく、均一に潅水できるか、
かつそれを長持ちするようにできるのか
ひとつひとつの要素を説明してまわる
井戸ポンプのスペックのこと
ディスクフィルタの目詰まり防止のための
細かな知恵と工夫のこと
圧力と流量の関係
潅水チューブの構造
配管での圧損失の見立て方
圧力計を立てる位置
配管レイアウトを今のように設計した理由
均一な飛びを確保するためのバルブワーク
ハウス内の土質のばらつきへの対応方法
EC上昇の局地性と潅水による回避などなど・・・
あぁ、いいなぁエンジニアリング。
できることなら、一人籠って、
じっとこういうことをしている時間が欲しい。
こういう世界はとてもシンプルだから。
就農したころ、エンジニア時代に
燃料電池のシステム設計したときに学んだ
流体に関する知恵を生かしつつ、
いかに低コストで効率のよい、均一な
システムを組めるか考え続けた日々を懐かしむ。
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今、僕はそれを後輩たちに伝えなければならない。
それを全然伝えきれていないことがとても悔しい。
でも、これって理科の講義最初から全部やらないと、
彼らには何も分からないままなんだ。
でもそれを今のオレがどこまでできる?
伝えきれないまま、使いこなされないまま。
繊細に研ぎ澄ました日本刀を
ハンマーで叩きつけるように
使ったってまるで駄目なのだけど
今どき若者の多くは、スイッチぽんで
どんな機械も動くと思っているんだろうな。
そんな馬鹿な。
目の前の古びた設備ひとつひとつに
どれだけの人類の知恵が詰め込まれているか。
それが何も見えないなんて。
あぁ切ない。
でも教える時間をしっかり作れない状態もまた、
諸々の選択のなかで自分の選んできた道なんだ。
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次の世代が
自らの意志で
前の世代の人間が積み上げてきたものを
全力で学びはじめる、その可能性に賭けるのみ。
それができないなら
僕らは僕らが受け取ったバトンを
きちんと渡せていないことになる
小さなこと一つ一つに宿る生命、
その声を聞きとるには
ちっぽけな「自分」なんか捨てなくては。
何でそれが分かんないのだろう?
学びは、
人に認めてもらうとか
そういうくだらない我欲を全部捨てて、
学ぶ意志のかたまりとなった者にしか訪れない。
全てを学ぶことはできない
それぞれが
それぞれの時に
それぞれの場所で
それぞれの形で
学んでいくしかない。
でもそれでいい。
それぞれの可能性が
きちんと花開くとき
そこにこそブレークスルーがあり、
僕らの未来の形がある。
世界の未来の形がある。
それを信じ続けたい。
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明日もまた
一日を生きよう。