日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

「ありのまま」を認めること。世界の現実を紡いでいくこと。

一昨日は伊賀オーガニックフェスタの企画キックオフ。

例年どおりスタートはかなり遅めだが、ここから一気に。

「食」と「暮らし」を彩る【つくり手】を露出させるお祭り。

さぁこれからどう展開していくのだろう?

 

これまでの運営コアメンバーに伊賀焼の里、丸柱の作家さんらが合流。

僕らと全く異なる日常を生きる人たちとの出会いが新鮮。

伝統を継承しながら「今」を生きるアーティスト/職人たち。

(たとえば… http://www.gallery-yamahon.com/ )

 

身の回りの細やかなことまで目を配り、

暮らしを丁寧にデザインしていく感性。

今の自分に最も足りないものかもしれない。

 

山深い里の、廃校となった小学校の教室で

野菜や米の食材から食器、しつらえ、音楽まで

各々のつくり手がその場に居合わせるなか

見知った面々が手際よく準備してくれる

料理やコーヒーをゆっくりと頂く。

そんな空間をイメージしてみる。

 

なんだかとっても柔らかくて楽しい気持になってくる。

ひとつひとつの「もの」に命が宿っていること、

僕らがつながりのなかで生きていることに、

気付かせてくれる、そんな空間になればいい。

 

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若手の作家さんたちと話す中で、

こんな器は高くて日常では使えないなぁ

などと、いつのまにやら貧乏暮らしが

身体に沁みついてしまった身で思う。

 

これは金額の高い安いではなく

暮らしと向き合う気持や姿勢の問題なのだろうか?

まずは基礎欲求が満たされなければ前に進めない、

マズローの欲求段階めいたことを考えつつ、

「粋」な生活は限られた人だけのものなのか、改めて問い、

お前はどうするのか?と喉元に突き付けてみる。

 

できることなら、ひとりでも多くの人が

暖かい気持で生きていければいいなぁ、と思う。

それが豊かさというものだから。

だからこそ、オーガニックフェスタを

限られた人の閉じた空間にはせず、

来る人たちを皆ふわっと包んで、

受け入れることができる、そんな場にしたい。

感性を常に外に開いていたい。

 

もちろん知ってる。

そんなつくり手の背景にある想いなど露知らず、

わがもの顔で、すべては当り前と考え、

踏みつけ、汚してもそれに気づかず、

ただ奪い取っていく人たちが

この世には存在していることを。

 

だから防衛すべき、なのだろうか?

世界への間口の開き方は、繊細な問題だ。

強い存在の芯を育てなくてはいけない。

闇に引きずられず、越えていく力を蓄えなくてはいけない。

 

僕が有機農業の世界に飛び込んで

ここまでひたすら走ってきたのは何故だったろう?

いったいそのGOALはどこにある?

 

世のため人のためなどと密かに思っているうちに、

自分はまだまだ背負い続け、走り続ける「べき」だ、

そうやって自分を奴隷に貶めてきたと思う。

世界に興味のない自分のことばかりの連中を許し、

僕は与えられる限り、自分を与え続けてきたと思う。

 

だけど泉が枯れてしまった。パンクしてしまった。

緊急停車。

 

で、生きるエネルギーが再び湧きだしてくるのを待った。

待った。

待った。

・・・

そしてさぁ、

何とか補給も終わったみたいだ。

 

で、どうする?

 

答えは出ているような気もする。

 

今はただ、己を磨き続けること。

 

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今朝ストリームラインに流れてきた二つの記事。

それぞれに全く異なる視点、異なる硬度ではあるけれど、

通底していく、これからの時代を見通すためのヒント。

 

「素」、ありのままの存在、わがままな自分を

正面から受け止めるところにこそ、

外にも伝わる存在感や魅力が生まれること。

現実を見つめ、切り拓く力が生まれること。

 

【現実】って案外、矛盾しているのだ。

自分の感性の独自性を見いだせる人こそ、真に自立し、

世界の現実を受け入れ、拮抗して生きていける。

 

自分を深め切った先にこそ、みんながいる。

 

そんな不思議。 

 

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hibinokeiko.blog.jp

 

(引用)

 

「人が行動する時の最終的な決め手となっているのは

本当にそれ?というと、ものすごく単純なことだったりする。 

「自分が暮らしたいと思う町の雰囲気があったから」
「ここなら自分にとって幸せな暮らしを作っていけると思ったから」
「あの人がいたから」
「好きだから」
「この商品を作ったのは、捨てられている素材がもったいないと思ったから」
・・・・など。」
 
「『正しそうな理由』は例えば商品の裏打ちを
強化するものにはなるかもしれないけれど、
サイドであって真ん中ではない。
その人なりの想いにこそオリジナリティが潜んでいて、
人に響くものを持っている。もやもやしていて、
空中に漂っているようなものだからつかみにくい。
 だけどちゃんと言語化させてあげれば、
ものすごく価値をもったその人だけの強みになる。
これからは「差異化」ではなくて
「その人だけの存在感」がにじみでたものが
重要になってくる気がする。」

 

 「そこに「素晴らしさ」があるときってどんな時?
自分に問うてみると、こんな答えが出た。
「通り過ぎようとしたら、振り向いてじっと見ずにはいられない魅力があるとき」
「まばたきをするのももったいなくて、その存在をずっと見ていたいと感じるとき」
「対象が光を発していて、その光のシャワーをずっと浴びていたいようなとき」

感覚的なサインとしては、
・グッとくる
・ゾクッとする
・キュンキュンする
・じわっと胸に広がり、波が満たしていく
・なぜか涙が出てくる
こんな感じだ。」

 

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www.huffingtonpost.jp

 

(引用)

「ナルシシズム(自己愛)の満足を得るために、

人は困難な使命や運命を担い、厳しい鍛錬に耐えることができる。」


「ナルシシズムが人の生涯を通じて成熟していく」

 

「ナルシシズムの発達が悪い場合には、情緒的に複雑な状況に

置かれた時に冷静に考えることができなくなり、現実原則に

則った判断を行うよりも、自分のナルシシズムを守るための

言動を無意識に優先してしまうのだ。問題を回避する反応が、

もっとも容易なものであろう。

 残念ながら、現代の日本社会ではナルシシズムの発達が

阻害されやすい。そのために、社会的にも個人的にも、

なかなか成果が上がらない本当に困難で重要な問題に

粘り強く取り組める人が少なくなり、ある程度成功の

見通しのついている課題の反復や、他の成功事例がある内容に

安易に乗っかるような仕事の仕方が優勢になっている。」


「ナルシシズムの問題を取り扱うことを通じて、

国全体として、日本が直面しているさまざまな困難な

課題に正面から考える力が向上することに貢献できる」


 

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で、いろいろ考えるうちに

少し前に描いた概念図をすこしいじって

僕らがどこにいくのかなぁ、ってちょっと考えてみた。

 

オーガニック転回のヴィジョンマップ。

ここまで考えてきたことを図示するとこんな感じ。

 

でも詳しい解説はまた今度。

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