使い続けることができるものをつくろう
陶芸というのは難しいもので、そこに作為とか自我成分がたっぷり含まれていると、毎日使うことが出来なくなる。使いたくないと明確に思うというよりは、手にとらなくなる。どこかギラギラしたもの、俺をみてほしい!という声を土の奥から感じるものは、時々ならアクセントになっていいけど毎日は使えない。それが体感的にわかるのが陶芸だと思っている。
人の中にあるものが、手のひらをたどって、この世に生まれてくる。
その人ならではの美しさはじゅうぶんに発揮されているけれど、なにかとなにかを分裂させずに、すうっと人の日々に馴染んでいくようなもの。
表現するひとりとしては、そういう作品をつくっていきたい。
生きているひとりとしては、そんな風に呼吸していたい。
涙が出ました。
僕らは今年の伊賀オーガニックフェスタで
陶芸作家さんらとコラボする機会を与えられて
そこでたくさんのことを感じ、また考えました。
https://www.facebook.com/yuji.okuda.96/videos/941933519178898/
つくること。
つかうこと。
その間に「こころ」の交流が為されるかどうかが
つくる側であれば「もの」の完成度に、
つかう側であればそこから得られる悦びに、
深く深くかかわっているということ。
それはきっと農業の世界でも一緒。
もちろん、料理をつくっていても。
一心にものをつくる。
真に良いものは、
自然と向き合ううちに、
「わかってほしい」という自己主張、
「めんどうくさい」という自己放棄、
そういうつまらないものが溶けてなくなり、
ただ対象に没入して向き合うときに、
生み出されるのだと思う。
社会の仕組をつくるときだってきっと一緒だろう。
今の僕に与えられた仕事、
どこまでやりきれるかなんて分からないけれど、
ただ向き合い続けることしかないんだなぁ。
つまらない打算や疑いは無用。
ただこころを開き、前を向いて、
歩いていくだけなのだと思いました。
素敵な促しに感謝。