日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

「物欲なき世界」のビジネス

昨日はみえ次世代ファーマーズ miel の
幹事会がありました。
激しく動いていく農業の世界の動向を
改めて確認する機会に。
 
メンバーの皆が経営者として
これまでどんな道をたどり、
これからの時代をどう生き抜いていくのか、
 
ひとりひとりの想いや生き様
みたいなものを垣間見ながら
自らの置かれた位置と役割を
明確にする必要性を強く感じます。
 
明確なヴィジョンを描ききること。
 
自分たちは世の中に何を提供できるのか?
 
目標を迷いのないレベルまで絞り切って
そこにアプローチしていくための
ステップ/事業プランを組み立てて
あとはつべこべ言わず全力で走るのみ。
 
「こと」が決まればあとは人、そして金。
追いかけて、追いかけて、目を離さないで。
 
シビアな世界になってくるだろうけど、
農業の世界には、これからきっと
優れた経営者がたくさん出てくるような気がする。
 
群雄割拠、戦国時代みたい。
 
我が身を振り返ってみれば
まだまだ及ばぬことばかりが目立つ。
頭でわかるだけじゃ全然足りない。
とことん腹を据えること。
 
これからの時代をどう読み切り、
どこに向かって突き進むのか?
 
もっともっと人間磨きが必要。
さぁどこまで行ける?
  
**** 思考メモ
 
「オーガニック」の存在意義。
そしてそのなかでの僕らの取り組みの位置づけ。
 
昨日流れていたこんな記事は
僕が描くべき未来のイメージの基底に
しっかり触れているように思う。
 
ここで描かれる時代に求められるインフラを意識し、
社会の遷移をスムーズにしていくこと。
 
ちょっと遠いけど、ギャップを埋めるための
ステップを構築していかなくてはいけないのだと思う。
 
踏ん張ろう。
 
「物欲なき世界」
消費欲の急減を突き詰めて考えていくと、資本主義の制度疲労を起こしているのではないかと思うようになりました。トマ・ピケティが『21世紀の資本』で書いたように、世界では貧富の格差が拡大し、二極化が進行しているのは紛れもない事実です。

そこで中産階級がやせ細ると、彼らの旺盛な購買力を前提に成り立っていた資本主義――もっと言えば中産階級資本主義とか中産階級消費主義――がいま危機に瀕している。二極化して中産階級が減っているならば、現行の制度が限界に近づいているのは間違いないでしょう。

このような状況に対して、たとえば、フランスの経済学者、ジャック・アタリや日本の経済学者、水野和夫さんは、次の制度に移行した集団・場所・人・都市・国家が次の時代のアドバンテージを取ると主張しています。

資本主義が制度疲労を起こしているわけだから、その延長線上での消費刺激策を講じてもカンフル剤として一瞬効果があるだけで長期的にはうまくいかない。

物欲がなくなり資本主義が立ち行かなくなる中で、日本や東京は新しい考え方や制度を真っ先に提案・実践していくことが、世界に対して次のアドバンテージになると考えています。だから未来の制度を考え、生み出し、身に付けるようなポジションに移行したほうがいい、というのがぼくの考えです。

 
ポートランドの事例から。
 「いかに安くするか」「いかに大量生産するか」というのは少し前までは有効な価値観でしたが、モノにあふれた世界において感度のいい消費者たちは自分たちにとって質のいいモノを求めています。

質がいいことは必ずしもラグジュアリーであるとは限りません。ポートランドでは、自分が身につけたり、口にしたり、手元に置くモノは、なるべくいい素材を使って、華美でなく、長く使えるモノを選ぶようになっているんです。

ポートランドの人たちは、そういったこだわりに特化することで世界におけるブランディングを高めています。ローカルにこだわりながらも、グローバルな市場で勝てそうな価値観を徹底し、消費者と向き合う。そんな姿を東京も見習うべきだと思います。

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