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日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

道を極めるということ

年初来、相場がかなり荒れていますね~。
そして「マイナス金利」導入の衝撃。
いったい何が起こるのだろうと注視していましたが、
ここ数日、株価の落ち込みはかなり激しかったようです。
素人目で見るかぎり、ここはこのまましばらく
ずるずる下がっていくような気がします。
 
こうした状況のなか、
金融恐慌が起こるかもしれないと、
不安を感じられる方があるかもしれません。
 
逆にむしろ、行き詰った状態のなかで
カオスがもたらされて「何か」が起こることを
期待している方があるかもしれません。
 
***
 
僕自身、自分が手掛けている事業の行く末も含め、
これからの社会はどうなるのかなぁ、と、
今朝はつらつらと考え続けていました。
 
そもそも、経済成長の本質というのは、
人がより「豊かな」暮らしを求めて
様々なイノベーションを重ねながら、
社会の仕組を精緻化していく、
そんなプロセスだと思うんです。
 
そしてその「豊かさ」を表す指標として
「生産」の「量」が慣用的に用いられてきました。
それはGNPとして貨幣のかたちで表現されます。
(お金はそれを表す指標(単位)に過ぎません。
「資本」は「所有権」「力」の量的な指標です。)
 
生産を年々増加させながら、
資本を蓄積し、それを元手にして
さらなる豊かさを産み出していく、
「資本主義」というアプローチ。
 
でもこのモデルが行き詰ってきている。
格差の極端な拡大だったり、資源の枯渇だったり、
社会の歯車をこのまま回し続けるには
ちょっと無理じゃないか、
という空気感が蔓延してきている状況ですよね。
 
先行きの見えない不安。
それによってもたらされる緊張感。
 
***
 
でも、ふと気付いたのですが、
経済成長というものは、
人類全体で豊かさの追求をしていく
「道」なのではないか、と捉えると、
参考になる先達がいくらでもあるなぁ、と。
 
「道を究める」ということにかけては
日本には歴史を超えて継承されてきた
「叡智」が数え切れないくらいあります。
 
そんななか、僕が今朝、読み返していたのは、
徒然草、森鴎外、中島敦らの
「名人」に関わる文章です。
 
彼らによれば、どうやら、
真の名人になっていくプロセスは、
「身に付ける」段階、と、
「取り払う」段階、と、
二つの段階に分かれているようです。
 
道を極めんとする者は、
がむしゃらに脇目も振らず、
人から学びとり、訓練を重ね、
他流試合を重ねながら、
技術を積み上げていく。
恥も外聞もなく、専心あるのみです。
 
ところが、そうした技術の蓄積は
あるところまで行くとパキンと折れるように
行き詰まってしまうのです。
 
その山を越えられるかどうかが、
名人が真の名人になれるかどうかの分水嶺。
この一線まで辿りついた時、
本当に問題になってくるのは、
技を自由自在に繰り広げて、
何を描いていくか、つまりは創造の位相。
ここでは真似をすることは意味を持たない。
己を見つめ続け、世界と一体化すること。
 
「空」
 
僕らの目指すところは
このあたりにあるのではないか、
何だかそんな気がしています。
 
最近ちょっとボケ老人みたいになってきた自分を
欺瞞的に肯定するわけではないけれど、
敢えて説明するとこんな感じになるのかな、と。
 
***
 
胎動。
 
何かが確実に動いています。
日本人の持つ叡智が、
今、本格的に目覚め始めている、
そんな気がしています。
 
一緒にその波に乗ってみませんか?
 
うん。なんだかワクワクしてきました。
 
****
 
「名人」に関わる元ネタはこちら。
 
徒然草 百三十四段
(できる人こそ「恥」を知る=しゃしゃり出ない)
 
徒然草 百五十段
(学びの過程に遠慮はいらない。恥ずかしさに負けるな~。)
 
中島敦「名人伝」
(弓の名人が技を磨き抜いた果てに
師との出会いで弓自体を持たぬようになり
やがて弓を見ても何だかわからなくなってしまう話)
 
森鴎外「寒山拾得」
(本当に悟った尊い人は、
案外そこらで飯炊きしたり、
残飯整理したりしているもんだという話)
 
 
※中島敦が喘息で33歳で亡くなっていた
ということを改めて知り、ショックを受けました。
天才というのはいるものですね。
己の小ささを知り、与えられた分をきちんと生きられますように。