「投資」のあるべき姿とは?
投資家・藤野さんの投稿。
悩みに悩みながら道を歩んできた僕にとって
心底勇気づけられる内容でした。
インスピレーションを得て、
僕らが進むべき道が見えてきたような気がします。
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お金は社会の血液。
有機統合体を構成するひとつひとつの細胞の
生命活動(いのち)を支える機能を果たせるよう
適切な配分を行っていくことこそ金融の使命。
そのことを忘れ、自己増殖に勤しむ個体があるとすれば、
それは癌と呼ばれる存在形態であり、
統合体全体を滅ぼす彼らの活動は許されるべきでない。
社会を構成する健全な細胞たちは、
遅ればせながら抵抗反応を示し始めているし、
統合体全体を守るための連携は、
じわじわと、でも確実に広がっている。
無尽蔵に要求のレベルを上げていくばかりの
「顔無し」の活動に同調するのはすっぱりやめて、
自らのなかにある「愛」の力を高め、深めることで
孤独な人達を包み込んでいきたい。
そんな力が与えられんことを。
願わくば、巧妙に装われた上辺の姿に騙されぬよう。
真贋を見抜くことができるか否か。
共に歩むのか、拒絶するのか、
「決める」ことは激痛を伴うこともあるけれど、
このプロセスなしに僕らが前に進むことはない。
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顔無しの彼らが強奪し、脅迫し、貪り続けるのは、
世代を超えて伝染される愛の欠如、孤独ゆえ。
いのちの豊穣さを諦めて、絶望と甘えに身を委ねきり、
己の「生存」に集中する彼らの寂しさが世界を浸す。
日常の「処理」の世界に没頭するなかで、
己の欲望を自己制御できなくなっていく、
そんな【餓鬼】の群れ。そして、群れ。
呪いが解かれ、成仏されるまでは、
彼らを安易に許し、甘えさせてはならない。
強迫症的(全/人のため~共同体中心)であるか、
分裂症的(個/自分のため~自己中心)であるか、
男性性優位か、女性性優位か、陰か陽か。
置かれた環境のなかで、己の位置や役割を感知し、
内在する両極のバランスの感覚を磨きあげよう。
生きることは、学ぶこと。
僕らは僕らに与えられたこの感受性に賭け、
それを磨き続けていくのだ。
いのちの豊かさを素直に、全身で受け止めて、
今日を未来へつなぎ、次代のいのちを育んでいく。
それを支えるのが、夢であり、希望である。
いのちは与えられ、与えるもの。
その豊穣さを知れ。
血の通った社会をつくるために。
僕らはただ淡々と、この道を歩きつくす。
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以下藤野氏の投稿(2件連投)の全文
私は投資の素晴らしさやよさを伝えています。銀行員や証券マンに誇りを持って仕事をしようと。そして個人投資家の方には投資はお金でお金を稼ぐ汚いものではないんだと。
でも、非常にしばしば、同業者で酷い人を実際たくさんみます。人間的に酷いし、また考え方も酷いし、行動も酷いです。私が仕事をし始めてから、この業界には泥棒なような人がたくさんいました。でも素晴らしい人も少なからずいました。しかし最近はあからさまな泥棒のような人は減りましたが、でも尊敬できる人はもっと少なくなりました。小悪党とそれを知りつつ黙って行動を観察する「静かな共犯者」がすごく増えています。
まあそもそもそういうのが嫌で独立したというのもあります。実際に、お前は甘くてよいことを言っても儲けられない、と陰に陽に陰口を叩く人、たくさんいるんですよね。今でもいます。というか無数にいます。残念ですが。
だからこそ、心の底では騙して儲けるのが金融業だと思っている業者の人よりも社員にたくさん給料を払いたいんです。社員には業界最大手なみの給料で業界大手よりストレス半分の会社を「目指す」と言ってます。だいぶ近づいてます。まだ足りないけど。
そのためにはまずは当社がそのような気持よく働いて楽しく働き、大手と同じくらいの給料をもらえる会社にならないといけないですよね。そうじゃないと、人を騙したり、つらい思いを社員に強要するのが一流会社だという暗黙の了解を変えられない。
またぬるいことをいいやがってと思う人が多いのわかるけど(業界的には)、でも、このようなことを吠えることができるのも独立している会社の強み(強がり)です。
私は起業して決めたことがあるんです。
気持ちの良い仲間と楽しく(力を尽くして)仕事をする
この原則を貫こうと。私達の社員は原則ものすごい働き者で、そして顧客に徹底的に尽くします。そのことはとても誇らしい。けっしてレオスは私の会社ではもうないんです。調査も営業も本当に社員の意図たちが献身的に働いてくれている。
でも、それはリスペクトできる顧客、リスペクトできる販売パートナーだからです。気持ちの良い仲間であれば、どんなに肉体的にハードであっても、頑張れます。一方で、販売パートナー側がパワハラ、セクハラ、モラハラ、業者いじめのようなことをするならば、どんなに大きな販売パートナーであり、それを失うことで利益を失っても、会社や社員を守ります。その意思決定ができるのが当社の強みです。
前も話したかもしれませんが、ある大手の銀行でこのようなことがありました。
「ひふみはすばらしい成績です。これを導入したら地域のお客様は喜ぶでしょう」30代後半くらいの商品選定の中堅の幹部にそう言われました。
私はすごく嬉しくなりましたが、次の言葉に耳を違いました。
「お客様がもうかるかどうかは私には関係ない」
びっくりしました。
さらに次の言葉にもっと驚きました。
「当行が儲かるかも関係ない」
おもわず、私はその人の顔をじっと見ました。
「私と何回会うかですよ」
といってゴルフをする真似をしました。接待を暗に要求しているんですね。もちろんそんな相手とは【絶対に】仕事をしません。よいことが起きるわけはない。接待で取ったら接待でひっくり返されるし、そこに顧客目線はありません。
大昔の話ではありません。2~3年前です。
仕事を志事といいかえる人がいます。単に仕えるのではなく志の実現だと。それはとても良い言葉です。でも私は仕事の本質はお客様に仕えることだ思っています。でも、誰にでも仕えるわけじゃない。そこには相互信頼が大事だと考えています。だから、私たちはリスペクトできる顧客や販売パートナーには徹底的に仕える。逆に顧客に対するリスペクトがなく当社の社員に単なるいじめに近いようなことをする販売パートナーは「パートナー」ではないので、どんなに大きかろうがお断りです。
今日もそのようなシーンがありました。でもこの原則は揺るがないんです。そしてそれが結果的に運用の質を担保すると信じています。甘いかもれないけれど。