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日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

讃められるために生きている訳じゃない

ibaya.hatenablog.com


坂爪さんの IBAYA の活動をフォローして以来、
彼の言動には幾度となく励まされてきた。
 
限られた情報ソースのもとでの判断だが、
僕は、これだけ力のある表現を
世に発信し続ける同時代人を他に思いつけない。
 
心の底にある情動を激しく揺さぶるコトバたち。
ある人はそこに救いの感覚を見いだして熱狂を覚え、
ある人は吐き気を催すような嫌悪感を抱くだろう。
また、ある人はその力ゆえに、
彼の存在を徹底的に無視しようとするだろう。
 
恐ろしい才能というべきか。
「とにかくやばいことだけをやる」
「ヤバイ」をひっくりかえす ⇒「イバヤ」
 
僕にとって最初、彼は遠くの雷鳴のような、
あるいは画面の向こうの憧れ的な存在だったけど、
この2年ほど、僕自身が諸々の困難にぶつかり続け、
己の殻を粉々になるまで粉砕される過程の中で、
いつのまにか、盟友のように感じられるようになってきた。
まぁ、それはこちらの勝手な想いではあるけれど。
 
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僕は未知なことだらけの農業の世界に飛び込んで、
もがきながら匍匐前進して進むうちに、
気付けば地域の有機生産者のとりまとめ的な役割を担い、
公金を用いた事業のかじ取りを引き受けるようになった。
 
また農場を「社会化」するため、法人化することで、
コンプライアンス、世間の目といったものが
嫌というほど心の内にまで浸透してくるようになった。
 
さらには農業の置かれた社会構造について考えるなかで、
是非とも必要になると思われる機能を実現しようとして
流通の事業にまで手を染めるようになっていくうちに、
僕はもはや、「社会の奴隷」とでもいう境遇から
逃れられないようになっていったのだ。
 
経営者なんて、「倫理」に縛られた奴隷みたいなもん。
でもそんな状況は決して永続できるもんじゃない。
 
そうして破綻はやってきた。
 
身体を壊し、家族を失い、
厳しい経営状況に追い込まれたまま、
片翼飛行のように飛び続ける日々。
それでも僕は「いい顔」をし続ける?
 
それを脱ぎ捨て、本当に自由になるまで、
随分の時を要した。
 
一瞬一瞬が学びのとき。
日々の経営判断の全てが、
己のいのちの経験の積み重ねとなっていく。
 
潜って、潜って、潜って、
深い海底に沈んでいたものを
ゆっくりゆっくりと引き揚げる感じだ。
 
深海から一気に水面にいくと
どんな魚だってバーストしてしまう。
だから、ゆっくり、時間をかけてきた。
きっとそういうことなのだと今は思える。
 
そしてようやく、心の中から思えるようになった。
 
あほらしい。
 
”Who's John Galt?”※
 
※米国の若い知識人のなかで
 聖書の次に読まれてきたという
 Ayn Randの小説”Atlas Shrruged”のセリフが
 頭の中でリフレインする。
 
いや、オレはオレだ。
 
善悪の彼岸へ。
 
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人より多少なりと理解力や処理能力があるがゆえに、
仕事を引き受けることが妥当と考えてそれを引き受ける。
そのことで最初、感謝や尊敬を得たとしても、
やがてそれは「当たり前」になり、
やがては小さなことにもクレームを受けるようになり、
そしてその要求レベルはどんどん上がっていく。
 
日本の社会に根強く存在する、
サービス提供者には甘えることが当たり前、
という心情は本当に恐ろしいもので、
政治家だろうと、
役所の人だろうと、
メーカーだろうと、
責任ある存在になればなるほど、
人(群衆)はそこに無意識に甘え、
いくらでも無茶な要求を突き付けるようになる。
 
【甘え】
 
こういうのって恥ずかしいと思わないのかな、
と僕は感じてきたけど、いや、もう仕方ないんだろう。
今やそれがスタンダードな感情なのだ。
 
それは結局のところ、
親に甘え続ける心情と連続しているのだろう。
教育の問題であり、心の未熟さの問題。
知識と情報を詰め込めばいいだなんて、
何となく選んできた愚かな選択の結果。
ちょっとした一瞬、一瞬に、
ちゃんと心を使って考えることを放棄してきたゆえに、
多くの日本人が親離れできなくなっている、という現実。
 
でも実は、状況は世界中で同じみたい。
 
動物化と幼児化が同時進行していく。
 
一方で、ピケティの描く資本の局在化と並行して、
知識も、倫理も、一極集中は着々と進んでいくばかりだ。
 
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さて、どうしたものか。
 
創る人間と、そのおこぼれにあずかる人間がいる。
どっちが正しいとか間違っているとかじゃない。
ただそういう状況がある、というだけ。
 
この現実を否定したところで何の意味もない。
 
己が己の身を置く場所を決めろ。
 
僕はもう、この馬鹿げたゲームは沢山なんだ。
 
たかる人間を許してもしかたない。
 
これは戦争みたいなもん。
 
だからぽーんと投げ出すよ。
 
でもここで思う。
 
僕らが僕らであることを貫くとき、
未来がつくられていくのだ。
 
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引用元の坂爪氏の言葉のひとつひとつに
僕は共鳴するけれど、
ここでは彼が引用した書籍の言葉を再引用したい。
 
さぁ、こっちだ。
 
僕はこれから全力で
僕自身にしがみついて生きてみようと思う。
 
 
以下、引用中の引用より ー 村に火をつけ、白痴になれ【岩波書店】
私のすべては唯屈従です。
人は私をおとなしいとほめてくれます。
やさしいとほめてくれます。
私がどんなに苦しんでいるかも知らないでね。
私はそれを聞くといやな気持ちです。
ですけど不思議にも私はますますおとなしくならざるを得ません。
やさしくならずにはいられません。
 
私には1日だって、
今日こそ自分の日だと思って、
幸福を感じた日は一日もありません。
私は私のかぶっている殻をいやだいやだと思いながら
それにかじりついて、それにいじめられながら死ぬのです。
私にはいつまでもその殻がつきまといます。
それに身動きがとれないのです。
 
あなたは何にも拘束されない強者として活きてください。
それだけがお願いです。
屈従ということは、本当に自覚ある者のやることじゃありません。
私はあなたの熱情と勇気とに信頼してこのことをお願いします。
忘れないでください。
他人に讃められるということは何にもならないのです。
自分の血を絞り肉をそいでさえいれば人は皆よろこびます。
ほめます。ほめられることが生きがいのあることでない
ということを忘れないでください。
何人でも執着を持ってはいけません。
ただ自身に対してだけは全ての執着を集めて
からみつけてお置きなさい。
私のいうことはそれだけです。
私は、もう何にも考えません。