日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

倫理性

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二十歳の時、大学に合格して
入学手続に京都に行ったときに読んでいたのが
岩井克人の「ヴェニスの商人の資本論」だった。
父がこれを読めって手渡してくれたのを覚えている。

そのときは、なんだか難しくて、
何を言いたいのかさっぱりわからなかったし、
宿泊していた部屋に本を忘れて置いてきちゃったw。

でもそれから10年後、三十歳になって会社を辞め、
様々な本を読み漁って様々なことを考えていた時、
お金~資本がどのように振る舞うかについて
最も深い洞察を与えてくれたのは彼だったと思う。

資本は「差異」を求めて動く。
商人は2つの世界の間にある「価値の落差」を利用し、
その間を媒介することで、利潤を生み出す。

南米の銀は現地ではありふれたものだし、
インドでは胡椒が珍しくもなんともない、
そんな二つの世界へ船を出して両者をつなぐ。

南米では10の銀を1の胡椒と交換し、
インドでは10の胡椒を1の銀と交換する。

両者をつなぐものは、価値の落差がなくなるまで、
己の富を生み出すことができるのだ。
南米、インドどちらでも銀と胡椒が当たり前になるまで、
ヴェニスの商人の活動はつづく。

そう、資本は「差異」を求めて彷徨う。
商品が世界中で当たり前のものになるまで、
つまり「差異」がなくなるまで、
そこから利潤を生み出そうとして動く。

多様なものが均一になっていく現象、
物理学に親しんだものは
それをエントロピー増大とよぶ。

商人はエントロピー増大過程を生かして、
利潤(貨幣の蓄積)を蓄積し、
大きな力(購買力)を得る。
この力をもってして、
さらなる利潤獲得のチャンスを狙う。

これはちょうど、川をせき止めたダムで
水が高いところから低いところに落ちる性質を生かし、
電気をつくりだすことと似ている。

光のエネルギーが熱に変わっていくことを利用し、
無機物(CO2,H2O)から有機物(CHO)をつくりあげ、
己の体を創り上げる光合成反応にも似ている。

そう、宇宙の大きな川の流れのなかに
小さな水車のような仕掛けをつくって
有用な仕事を為すことこそが生命活動の一つの本質。

だから資本の運動というのは、いうなれば、
生命活動そのものだといってもいい。

商人の活動は肉食動物が食べ物を探すのと似ている。
食べ物を消費して自分を生かす。
一次生産する生き物(植物/農家)を利用することで
己のいのちを生きながらえさせる。

良いとか悪いとかじゃない。
そういう現象、そういう存在として生かされている。
問題はそういう存在様式が持続可能なのかどうか、だ。

肉食動物だけ存在するような生態系は存続できるか?

エネルギーの一次生産をする(=光合成をする)生命と
どのように共存するか、そこのところが
肉食動物(商人)が次代へ生き残るための知恵。

あるいは、人はそれを「倫理」と呼ぶのかもしれない。

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「いのち」は「いのち」の多重構造になっている。

細胞があつまってひとつの個体をつくるように、

ひとりひとりの主体的に社会をつくる存在があるからこそ、

社会そのものがひとつの生きた生命のようにふるまうのだ。

自分を超えたより大きないのち(企業、国家)を

動かすものは、その構成要因のひとつひとつのいのちから

信任を得ることなしに存続することはできない。

岩井克人の別の著書

「会社はこれからどうなるのか」で示したように、

会社というものは株主の所有物ではなく、

それ自体がひとつの「いのち」なのだと思う。

そのことを忘れて利益追求に走る群れには

永く続く歴史が与えられることはないのではないか?

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「いのち」についての学びを

もっと皆が分かりやすいかたち、

つまり新しい科学として体系化する

そんな必要性をひしひしと感じる最近。

「場の研究所」の清水博さんの著作を読み進めながら、

今の自分にできることは何なのだろうか?

不安に走り勝ちな心を宥めながら、

一生懸命考え続けています。

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引用先---------------------------------- 

これは凄い興味深い話。

公益資本主義を補強しうる素晴らしい研究

定量的な貨幣論や経済論を突き詰めると
結局は人間社会の定性的な[信任論]を論じることになる・・・という話

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重要なことは、現在のような高度情報化社会では、人間は誰でもある分野では専門家として振る舞わざるをえないということです。その部分では、自分の利益を抑えて倫理的に振る舞わざるをえない。そして、実際に、多くの人がそう振る舞っているからこそ、われわれの生きている社会は成り立っているわけです。

世界にはいろいろな問題があります。問題だらけですが、そうした信頼関係がなかったら、きっと世界はもっとひどいものだったはずです。資本主義社会とは、個々人の自己利益追求にすべてを任せている社会だと考えられてきましたが、その資本主義社会、常に崩壊する可能性のある資本主義社会が曲がりなりにもある程度生きながらえてきたのは、いろんなところで倫理性をもった人間がいるからだということに気づいたのです。

最近は、会社の経営者たち、さらには専門家たち、ということはすべての人に対して、あなたたちは倫理的義務を負っているんだということを伝えるのを自分の使命と感じ始めています。