日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

年の終わりに想うこと

2016年が終わろうとしています。

 

今日も大晦日とはいえ、

何やかんやと積み残しの雑用があって、

地主に年貢(地代)を手渡しに行ったり、

来春のレタスやトマトの培土に使う

「もみがら燻炭」を焼いたりしていました。

 

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ささっと焼いて、年越しは少しはゆっくり、

などと思っていたら、もみがらの水分が存外多くて

なかなかこんがりとはいかず、気付けば辺りは真っ暗に。。。

 

金星と下弦の月が天に昇りかけていました。

 

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それにしても、いやはや、

今年は人生で最も長かった一年

のような気がします。

 

振り返れば、

長年の無理が祟ってすっかり身体を壊し、

自ら始めた農業生産や流通の事業は

簡単には越えられない幾多の壁にぶちあたり、

妻子は去り、寝泊りする場所も無くなって

会社の事務所に転がり込んだ形のスタートでした。

 

赤ん坊のように無力な状態に戻って

もう一回人生をやり直すような感じだったから、

長~く感じたのかもしれませんね。

磁極が入れ替わるような

強烈な変化が自分のなかで起こったというか。

 

僕はこれまでずっと、

お金や地位、目先の安定や保身より、

「世界が幸せになる方法」を

馬鹿正直に模索しつづけてきたように思います。

 

自分の幸せは基本的に後回しでよろし。

そんな姿勢を「正しい」と思い続けてきたし、

他人にも求めてきたと思います。

 

与えて、与えて、与えて。

 

それはどうにも無理があったんですね。

そんな風にしてたらすぐ金なくなるし、

暇なくなるし、身体は壊してしまう。

家族だってたまったもんじゃない。

でも、やめられない止まらない・・・。

 

で、ついに壊れた。

 

それまでは、天から与えられた力のおかげで、

わりとどんな時、どんな状況でも、

何とかかんとか乗り越えて、

事態をコントロールできちゃったんですね。

 

でも、その傲慢さがバーンと壁に打ち付けられ、

粉々になるまでぶちのめされた。

 

世界のなかに「正しさ」を実現するために、

山頂を目指して登り続けてきたんだけど、

やがて傾斜がどんどん、どんどん、きつくなって、

で、いやはやこりゃ大変だな、どうしよう、

って思ってたら、足元をパーンと掬われ、

気付けばゴロゴロゴロ・・・

って激しく滑落していった。

 

ダメだ。

身動きできない。

ただその場でへたりこむ。

 

喘息発作で息が苦しい。

頭が全く回らない。

  

やるべきことがやれないままどんどん積まれていく。

カオスが濁流のように自分を飲み込んでいく・・・。

 

僕はこれまで、「弱い者」の立場を

本当に理解したことがありませんでした。

 

「普通に」過ごしている人間は

傷ついた者に気付かず、無視し、

空気や道端の石のように扱うんですね。

都合よく利用し、踏みつけていく。

しかも、無自覚に。

 

人間の鈍感さ、狡猾さというものの存在を

これまで、頭で理解していたし

嫌なもんだな、と思ってはいたけど、

実際にそっちの側に立たされてみると、

それは想像を絶するくらい、強烈なものでした。

  

こういう状態になって、生まれて初めて、

「殺したい」というくらいの、

激しい怒りと憎悪の感情の存在を

知ることになりました。

 

自分が「力」を持っていた時には

あまりに鈍感で気付かなかった、

人間のどうしようもない醜さ。

 

「力」に負け、「力」に媚び、

やがて力を振りかざしてしまう卑屈さ。

我が身の安定と「予定通り」を守るため。

自分の存在を脅かしてきた何者かに復讐するため。

 

自分の生存と安泰を図るために、

弱い者は無視し、存在しなかったことにし、

雑草のように、虫のように踏みつぶしていく。

 

それは<いのち>を忘れる世界。

 

国家、法、村落共同体、利権、

論理と効率、指導者、道徳・・・

 

「力」は淡々と振りかざれる。

「正しさ」の名のもとに、

理不尽が粛々とまかり通る。

 

それでも、やはり

僕は生きていかなくてはいけないんですよね。

希望とともに。

 

<いのち>を取り戻す。