枯れ木に花を咲かせましょう
嘘と執着の支配する時もそろそろ終盤
正直と悟りの時代が近づいてきたみたい。
そういうポテンシャルを誰しも持ってるから。
皆で豊かになっていければいいなぁ
いつも希望を持ち続けていよう。
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いつだって誰もが皆、
自分の人生を必死に生きてる。
でも、何をやってもうまくいかない時がある。
悩んで、苦しんで、もうどうしようもなくて。
ただ小さくなって震えているときがある。
叫びたくても叫べない、声が出ない、息ができない、
絶望的に助けを求めているのに、助けは来ない。
そんな時がある。
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そこに差し伸べられる「手」があれば
それは何よりも尊くありがたいものになる。
慈しみはいのちを救い、豊かさを生むんだ。
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でもその「メカニズム」を利用しはじめると
世界は途端におかしくなってしまう。
助けることは気持ちいいし、得になる。
だから助ける行為は中毒になりやすい。
空っ風の吹きすさぶ世界の現実のなかで
「暖かさ」を追うことは生きがいになりうる。
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でも、この面倒見てやるという感情は
「執着」に他ならない。
自分よりもっと弱い生命をみつけることで
自分自身の「苦」から目を背けさせる麻薬だ。
誰だって、油断すればこの感情に巻き込まれる。
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だからこそ、支配しよう、利用しようではなく、
ごく単純ないのちへの「慈しみ」に還ることが
とても大切になるのだと感じる。
因縁のなか、「親」の役割が与えられるときに
あれこれ余計な計算をしても、碌なことがない。
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ここ最近、自分に向かって繰り返し語っているのは
弱き己の心を受け入れ、等身大の自分に帰ること。
自分のなかに蠢く情動を静かにじっと見つめ、手放す。
そうすると自ずと他者への愛と慈しみが湧いてくる。
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相手を楽にする方法、幸せにする方法ではなくて
間に在る「暖かいもの」に忠実であればいい。
何とかするための「手段」に意識を集中せず、
ただ頭を空にし、共に在ること、寄り添うこと、
それをひたすら念じ続けるのみ。
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経営とは<いのち>を育てる営みだ。
頭でこね回して「操作」したところで
結局事業は尻すぼみになるに決まっている。
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だから何よりも自分自身を本当に大切にすること、
基底となる「こころ」を磨き続けること、
絶えずそこに立ち戻る。初心忘るるべからず。
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そうして、淡々と、淡々と。
ねたみと怒りが仮初に世界を支配したとしても
執着に呑まれないよう、ニコニコ笑って
ひたすら許し続ける。
だってつまらない、つまらない。
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生命の歴史は悠久なる大河のようなもの。
この小さな小さな器のなかにも
<いのち>の水は流れ込み、そしてこぼれ出る
僕らはこの河に下り、水を汲み、のどを潤し、
後に続くものにそれを手渡していく。
やがて大きな流れのなかに還ることを夢見て
今日も仮象の世界を生き抜いていく。
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故きを温め新しきを知る。
世界を豊かにする真のイノベーションは
小さき心配りの先に生まれるのだと思う。
与えられるものを忠実に模倣するなかで
やがていくつもの気付きがつながり、
時が来れば花を咲かせる。
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慌てることはなにもない。
今はその意味が見えなくても、
点と点はやがて線になり、面になる。
そうして【曼荼羅】は描かれる。
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いやはや、もう夏ですね。
なかなか手が回らず、すっかり伸び伸び
生い茂っていく畑の草を眺めて溜息。
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夏草や兵どもが夢の跡
国破れて山河在り
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この場所、この時に刻まれる物語。
自分の歩んできた道、これから歩む道を
遥かに見晴るかす。
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<いのち>は伸びゆく。
弥栄に。