こころと意識の置きどころ
この2~3か月というもの
様々なことがありすぎて
その濃密さに圧倒されている間に
ずいぶん時間が経っていました。
生まれ出ずるもの
消えゆくもの
【いのち】という現象の奥深さを前にして
自分の世界の捉え方、従うべき規範を
根っこのほうから洗い直されている感じです。
「誰もが存在の居場所を必要としている」
ひとりひとりの「居場所」を創り育てることが
最重要テーマとなっていることを感じます。
そのための知恵や技術を磨いていきたい。
何らかの力によって支配するのではなく、
こころに寄り添うこと。
自分の枠に当てはめて理解するのではなく
相手の世界を自分に貫入させること。
時に分からないことを分からないまま
心の中に静かに受け入れながら
そうしてそれが熟成するのを待つこと。
それはとても難しいことだけれども。
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掌中に収まるものがあれば
掌から零れ落ちるものがある
執着は人を救わない。
受け容れられるときがあれば
弾き出されるときがある
所属や盲従は人を救わない。
不安によってドライブされるのは
もう金輪際止めたいなぁ。
では何を灯として生きていくべきか?
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< 自灯明 法灯明 >
己のこころをそのままに受け容れ
暮らしのなかの起点とすること。
真理(科学)と規範(哲学)に関する学びを深めて
己の内なる曼荼羅を豊かにし、それに従うこと。
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「犀の角ように独り歩め」
世の中や周囲の思惑に流されず
他者を自分に従わせようとせず
世に絶望せず、己の力を奢らず
共に生きる朋友のあることをただ悦ぶ。
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いのちという現象は 光と闇、陰と陽のあいだを
不断に行き来しながら、らせんのように描かれる。
眼前の現象に囚われることなく
奥底に脈々と流れる河を見つめ
実相に触れていられるように。
生まれ来るものにも、還り逝くものにも 。
全てのいのちに祝福があらんことを。
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ただただ感謝とともに。
今日を生きる。