紫香楽宮
Global を睨んで Local に動く。
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昨晩は伊賀市の北隣にあたる
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5年前に伊賀ベジ(旧・村山農場)で研修し、
当地で就農した木村裕則氏のお誘いで
周辺の農家らで地域を盛り上げるための
寄り合いの場に参加させてもらいました。
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木村氏はかつてAVEXに所属していた
がちプロのバンドマンというキャリア。
アニメ One Piece のTV主題歌の作曲も…。
One Piece Opening 9 「Jungle P」
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こちらのバンドでBassもやってましたね~。
FRYING DUTCHMAN 「humanERROR」
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そんな彼も今は親元の信楽に戻って根を張り、
地域の若手リーダーのひとりとなって
農業~地域起こしに奔走しています。
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僕らは今、「京都オーガニックアクション」で
京都市内~京丹後間の共有ルート開拓中ですが、
滋賀~三重~奈良の東側ルートも検討中です。
木村氏にはその要になってほしいなぁ…
という個人的な願いもあっての今回の参戦。
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この地域は「秀明自然農法」の拠点もあり、
わりと色の濃~い農業関係者が多いのですが、
若手もイキのいいのが転がっていて面白そう。
うまくネットワーキングできるといいなぁ。
※秀明自然農法ネットワーク
http://www.snn.or.jp/index.php
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って、仕事の話はこの辺まで。
実はここからが本題です(長ぇ~…)。
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実は、信楽にあった「皇居」の新たな遺跡が
最近発見されたそうで、それがちょうど昨日、
プレスリリースされたところでした。
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【紫香楽宮】ってご存知ですか?
745年、日本の都は信楽にあったそうです。
本当に一時的だったらしいですが。。。
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てことで、今日は昼頃から猛烈に歴史を勉強、
その頃この国に起こったことを調べました。
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農業者として決して無視できないのがコレ。
― 743年【墾田永年私財法】制定 ―
これが日本の農と食を考えるうえで、
重要な歴史的転換点だったのではないか、
という気がしてきました。
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この法の肝は、なんといっても、
「自分で拓いた土地は自分のものにしていい」
ってことですね。
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つまり、それまで(今の中国みたいに)
日本の全ての土地は皆のもの(国のもの)
だったんですが、この法律の制定により
自ら投資~開拓して新たに得た土地については
完全私有が認めらることになったんですね。
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とはいえ、これを契機に新たに土地を得たのは
投資するだけの資産をすでに手にしていた
そこから荘園制が発達、持てる者持たざる者、
貧富の差がどんどん拡大していったようです。
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そこに至る100年ほどを振り返ってみると、
天智帝~天武帝という稀有な才能を持った
エリート達がぐりぐりとトップダウンで
新しい経済システムを構築するために、
庚午年籍、班田収授法といった新ルール創成。
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お隣中国(唐)のシステムをパクりつつ、
実地で運用しながら徐々にカスタマイズ、
誰がどこで何をどのくらいつくっているかを
把握するためのデータベースが構築され
「律令制」という国家運営基盤が完成した…
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と思いきや疫病やら反乱やら色々大変になり、
聖武帝は迷いに迷い、遷都を繰り返しながら、
もう力のある人たちで勝手にやって頂戴…
とばかりに定められたのがコレ。
― 743年【墾田永年私財法】制定 ―
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を思い起こさせるような制度ですが、
後から歴史を振り返ってみたときには、
これが経済システムに大きな変容を遂げさせた
転換点だったのかもしれませんね。
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ちなみに聖武帝が「大仏建立の詔」を
発したのは、紫香楽宮に在った時のようです。
「あとは神仏に頼りきるしかない」とばかり。
聖俗両面の社会インフラの大転換期こそ
「天平時代」ということかもしれません。
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ついでにいえば、お隣の我らが「伊賀国」は
その後東大寺の荘園として発達しました。
歴史を下り、やがてその圧制に耐えかねて
地元の豪族らの内乱が常在化したのが
「悪党」というやつで、言い方は悪いけど、
まぁ今のISみたいな連中が現れてきた。
ホラ貝もった修験道やら何やらが入り混じって
これが「忍者」の源流であったとか…。
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ふー、書きすぎたなぁ。
こんなところまでお付き合いいただき
ありがとうございました<(_ _)>
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おっと、こんな遊んでる場合じゃない、
無事に年越しできるかどうか、
足元のキャッシュフローを追いかけなきゃ(;'∀')