日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

「生きている限り、生きていたい」という感覚

 

baya.hatenablog.com

 

 

アーメン。
(意味:あぁ、もう、まったくそのとおりだわ~)

これだけ宗教的素養に溢れた人って
なかなか出るものではないだろうけれど、...
今の時代の空気のなかで、出るべくして出た、
という感もある。

現代のすごさは
科学もアートも哲学や宗教も
歴史的に見れば圧倒的に高い水準のテクノロジーが
手を伸ばせばすぐ身近なところに
「当り前」のように存在している、
そういうことなのだと思う。

発達したのはコンピューターだけではない。
人の身体や心に関わるところまで、
溢れるばかりの知恵がそこら中で乱れ咲く。
安売り大バーゲン。
こんな時代を喜ばないでどうする、
ってことなのかもしれない。

ただ、「普通の人」ちゅうのは、
あまりにスゴイものを見て、
自分のことを振り返ってその小ささを知ると、
おっとこりゃヤバイ、って、
現実のほうを否定し、拒否してしまうもの。
そんな人間の弱さはそこら中に存在する。

なかったことにして無視したり、
しょうもないレベルで張り合って、
せっせとあらさがしをしてみたり。
一旦あきらめに身を預け、感性を鈍らせてしまった人は
安全なところで、井の中の蛙であり続けようとする。
自分の処理能力を超えることは受け入れない。

い・け・ず。

社会的にはそういう役割の人が一定数存在して
バランスしていくことも確かに必要なのだろう。
日々の社会生活を維持するため。
共同体を維持するため。

だけど、今の時代、
もう少し高度なレベルで
心の動きをマネージメントできないと、
ちょっと色々な状況を
ハンドルしきれないんじゃないか?

明日の自分の愉しみのために、安定のために、
他者から承認してもらいたい欲求のために、
結果として外の世界への感性を鈍らせる。
何事も無かったかのように
自分のメリットにならないものは
踏みつぶし、握りつぶしていく、
そんなふうに心を喪ってしまったら
それはもう、孤独な人生確定なわけで。

そんな人を相手にするときは
すごく時間の無駄だと感じるけど、
やっぱりお付き合いしてかなきゃ仕方ない
という部分もあるわけで。
めんどくさ、とは思うんだけどね~。

それが「政治」ってやつ。
ネットワーク形成を目指すのであれば
まぁ不可欠な素養ですわね。

少し前に聴いた
吉本隆明の昔の講演の内容を
思い出しながら、しばし逡巡。

個を解放しきる「超越」と
泥臭く社会と付き合い続ける「生活」と

ギリギリのところでは
「生活」が半歩だけ前に出るようにする、
そのあたりのさじ加減がよいのかな、
と個人的には思っているわけだけど。

実際のところ、飛ぶなら飛ぶで、
ホームベース(安全基地)が必要、
ってことなのかもしれない。

にしてもこの人(坂爪さん)、現代において、
家なしで生きていけるってのは
ホンマすごいなぁと思う。
ただ、衆生は無理にそれに
付き合うこともないわけで。
要するに、出家か在家かってことですな。

社会的な要職にあって、家族もいて、
日々に追われる日常生活をしている人が、
カラっとした気持でサッと突然
これと同じことができたら、
それは相当のぶち抜き感があるけど、
今の時代ならなんかわりとそれもありって感じ?

少なくとも、心根としてこれを理解し、
自分がこんな風にも生きることができる、
という可能性のひとつの形として、
にやにやと嬉しい気持になればいいんじゃないかな。

自由であること。
いつも他者との交換可能性を感じられること。
どんなに離れたところの人にも、
時代を超えた別の時を生きる人にも、
共感の可能性を見いだせるのであれば、
そこに明日がある。

だれが正しいとか、そういうんじゃなくて、
色々な人が居て、ぶつかりあいながら、
バランスしていくのが
良い社会のあり方なんじゃないかな、と、
多様性」の信奉者としては思うのです。

...

さ、あと少しで、
いくつもあった補助金
報告書もほぼ完了。

ここのところ雨が多くて悩ましいけど、
トマトも今日で無事植わって、
そろそろ夏モードですかね。

おしまい。

と思ったけど、ついでに…

昔読んだ本のなかで、
ネイティブアメリカンの長老「ドンファン」の
言っていたセリフを思い出した。
これはけっこう心の深いところに刺さって残っている。

*********
(引用)
「なんでも百万もの道のひとつにすぎないんだ。
だから戦士はいつも道は道にすぎんてことを
肝に銘じておかにゃならん。

もしそいつがそれに従うべきじゃないって感じたら、
どんな状況でもとどまっては駄目だ。

とどまるか離れるか、そいつの決心は
恐れや望みからは自由になっていなければ。

どの道も近寄って慎重に見なければならん。
そこで戦士は絶対自分に質問しなけりゃいけないんだよ。

この道には心があるか?

すべての道はおんなじだ。
それらはどこにも導いてはくれない。
だが心のない道は決して楽しくない。

逆に心があれば、やさしい。
それは戦士に好むように強制したりはしない。
楽しい旅をさせるんだ。

それに従っている限り、
それとひとつなのさ。」
(引用おわり)

(引用)
「人は四つの自然の敵を持っている。
恐れと明晰さ、力と老いだ。
恐れ、明晰さ、そして力は乗り越えられる。
しかし老いは乗り越えられない。
その効果は延期されるがそれは乗り越えられないのだ。」
(引用おわり)

(出典)
カルロス・カスタネダ「呪術師と私―ドン・ファンの教え」

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真木悠介「気流の鳴る音―交響するコミューン」
の解説も心に沁みて分かりやすかった。

「力」を手にしたものは大地と切り離されるが、
「老い」を受け止めることができたとき、
人は静かに着地し、そこに道が拓かれていく。
あとは一歩一歩、道を歩き尽くすのみ。

こんな感じだわな。

ふと気付けば、
老いと、そして死が、
確かに近づいてきている。

恐れず、計算せず、力に踊らず。

この道。

もう少し、歩いてみよう。