日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

ピケティとシブサワコウと北条早雲

トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読み続けています。
やっと半分強くらいまで行ったところですが、
読みながらもツラツラと思うことが沢山あって、
その都度メモをとったりしています。

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現在のマクロ経済のトレンドを眺める限り、
今後も所得階層の固定化は進み、
エリートの独占する富の比率は
徐々に上がっていくであろうということ。

第一次・第二次世界大戦という
歴史的に見ても異例の混乱のなかで
支配階級の富が一斉に失われた結果として
相当に平等な社会が実現されていました。
しかし、現在、富の配分構造からみる限り、
徐々に19世紀頃の時代とも似てきています。

僕らが今、何らかの形で経済活動に関わる以上、
こうした問題に鈍感でいるわけにはいかないでしょう。
誰が儲かって誰が儲からないかということは、
税制や規制、業界慣習など、社会のなかのルールが
どうやって作られているかに強く支配されます。
それはもちろん「政治」によって決まります。

最初から何が正しいなんてことは特になくて、
誰が「力」を握るかで正義が決まっていきます。

「力」とは人を促して何かをさせる機構です。
それは軍事力のような文字通りの暴力装置のこともあれば、
もっと見えづらい、感覚的・無意識的な行動パターンを
巧妙に制御するテクノロジーの場合もあるでしょう。
「洗脳」って言うのが感覚的に一番分かりやすいでしょうか。

社会全体が何に依っても支配されないということは
現実にはありえません。それは<カオス>であり、
常人はそれに耐えられるようにはできていません。
通常は何らかの法律、社会規範、暗黙の了解などにより、
合意されたルールの下で社会は運行されていきます。

うまく回っている社会体制にあっては、
全体として「大体こんな感じ」という風に多数に認められる
パラダイム】と呼ばれるものがあります。
ざくっといえば「普通」とか「常識」といわれるもの。

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 ただ分配が必ずしもうまくいかず(偏差が大きくなり)、
「普通」を認めない人たちが増えてくると、
社会は不安定化します。
歴史の中でそれは何度も繰り返されています。

革命、維新、改新、戦国時代、分立…
多くの場合、体制末期の混乱期には
血で血を洗う闘争の末に
新たな体制が打ち立てられていく。

そうした動きを駆動する根源にあるものが
まず間違いないと言っていいほど、
「富」に関するひとびとの感情や想いです。

ピケティを読みすすめる限り、
今後、社会の中でこういう意味での
鬱積が溜まっていく可能性は限りなく高いです。
あとはそうした不満分子を宥め、納得させ、
あるいは諦めさせる「力」(手法や論理)が
どこまでの有効性を持つか、ということでしょう。

昨日は大阪都構想住民投票がありました。
色々なことが言われており、
政治的にも興味深い議論は多々ありますが、
やはり一番の焦点となっているのは、
既得権を持つ人間と持たぬ人間との争い、
ということなのかもしれません。

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 ただ、実はここでとても大切なことがあります。
「富」そのものは継続して増していることです。
人間は全体としてはまだまだ豊かになっているし、
このトレンドは止まっていないのです。
そして、大事な認識は、新たな「富」を創造するためには
必ずやある程度の不均衡、富の集積が必要だということ。

お金から少し離れて考えて、例えば「知」。
「知」を持つ者はより高い確率で
よりよい「知」を見出していきます。
学びが呼び水となり、さらなる学びを得ていきます。

「ポジティブフィードバック」というやつです。
発散ともいう。

富は富を生む。だからこそ、
富めるものはますます富み、
貧しいものはますます貧しくなる。

フィードバックとは「自己回帰現象」です。
そして僕は、「力」というものは
そうした富を生み出すループの構造そのもの、
富の源泉なのではないか、という気がしています。

だからこそ「力」は人を惹きつける。

そうした意味で、今の時代、
本当の豊かさ「富」を生み出していく、
リアルな「力」はどこに収束していくのか、
僕の興味はそこにあります。

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で、ちょっと息を抜いて終わるようですが、
ゲームの話。

僕が中学、高校のころに
ひたすらやっていたものといえば
ゲームと音楽と水泳。

ゲームのなかでは圧倒的に
歴史シュミレーションゲームをやっていました。
光栄というソフトウェア会社で
シブサワコウという人が産み出した
数々の名作とお付き合いしてきました。
代表作は「信長の野望」「三国志」。

 

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中学生のころは、それこそ血眼でやりました。
領地の生産力を上げ、商業を盛んにし、
兵糧と金を生み出す基礎体力をつけて
周囲の国家に攻め込み、制圧していく。

三国志になると武将という考え方が導入され、
良い人材を取らないと、局面を展開できなくなる。
そしてこんどはそいつらを育てていくようになる。


今思っても、非常に優れた経営シュミレーションです。
経営の基本お作法、エッセンスみたいなものを
僕はここで学んだんじゃないかな、と感じます。

農業生産で現実に収量を上げるため、
商売で利ザヤを取るため、
人材を招き入れるため、
どれだけの泥臭いリアルな時間があるか、
ということをもちろん当時は知りませんでしたがw。
ぐるっと回って、ふと気付けば恐ろしいくらい
そのままあてはめることができるかも。

というのは、今の時代、
「地方創生」とか言っているなかで
これからますます乱世に向かっていくと思われるので、
戦国時代の自治国家同士の経営~生き残り戦略というのは
多分に参考にできることがあるのではないかな、と。

ちなみにこうしたゲームをするなかで、
戦国時代や三国志、モンゴルのことなど
歴史のなかの群雄割拠の時代にロマンを覚え、
幾多の本を読み漁るようになりました。

そして見えてきたのは、歴史を制する者は
やはり優れた、魅力のある人間だということ。

 
「力」を得るためには
外からではなく、自らのこころを磨くこと。
最近はますますそんなことを感じつつあります。

ところで少し前まで二宮金次郎
自分のベンチマークにしてきたんですが、
最近意識しているのはこの人。

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北条早雲さんです。

少し前にNHKの番組で取り上げてましたが、
かっこいいすね~。
ずぶっとささってるので、
もう少し情報収集をしなきゃ、
と思っています。

www4.nhk.or.jp



村山家は小田原の出自なのです。
まぁそのあたりの話はまたいずれ…。

ほとんど妄想領域の話ですがw。