日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

仕事の「自分ごと」化 と 【オーガニック転回】

おはようございます。

体調が上向き、心身のバランスがとれてくると
腰を据えて仕事を迎え撃てる感覚になります。

昔、わりとよくスキーに行っていたのですが、
あれって不思議なもので、
気持が前へ前へと乗り込んでいくように、
前傾して体重を上手に板に乗せられるときは
板は自分と一体になって思うように動きます。

でも疲れたり、気持がビビっているときは
後傾姿勢で板に身体が引きずられていって、
コントロールができないままズルズル~バタンとなる。

日々の仕事もそんなところがありますね。

しんどくてエネルギー低下しているときはホントもう、
目の前の溜まった事務処理見るのも嫌、人と話すのも嫌だし、
あー逃げ出したい、って思いながら仕事してる状態なので、
メッチャ効率は悪いし、何事も先延ばし先延ばしになる。

お天道様の下で身体動かして作業をしているときは、
そういう状態になることは滅多にないけど、
書類をつくったり、細かな数字のチェックをしたり、
脳みその集中が要求される仕事が溜まってくると
フリーズ現象が頻発することがあります。

でも、そういう状態にはまるのは、大抵、
自分のなかに「やらされ感」が出ちゃってるとき。
何かのせいにしてできない言い訳を探してみたり、
おかしなことを見て見ぬふりを常態化させて麻痺したり、
負のフィードバックが自分を腐敗させていく。

ビジョンが明確で先のかたちが見えてるか、
自分の仕事(あるいは存在)の意味や値打ちを
トータルとして正当に評価してくれる理解者がいるか、
そういう支持の有無が顕著に影響するみたいです。

 

「やらされている」仕事のなかで
良いものが生み出される確率は非常に低い。
ビジネスを考えるとき、あるいは、
一人の人間としての自らの生涯での生産性を考えるとき、
「自分ごと」のレベルをいかに高く保ち続けるかが、
何よりも最優先すべきことのように感じられます。

先がちゃんと「見えてる」こと、
他者にちゃんと「見てもらっている」こと、
そのあたりが仕事を「自分ごと化」するうえでの
重要なカギになっているのは間違いありません。

そのためには、経営者として、
あるいは不安定な心を抱えた一人の人間として、
日常のなかで自分や組織をどんなふうに
マネージメントしていけばいいのか?

日々ベストパフォーマンスを出し切って
生きていくにはどうしたらいいのか?

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なんてことを考え始めたきっかけは
知人のポストで見た下記リンク先の内容を見たこと。

 

togetter.com


発達障害、人づきあいがあまり上手にできないという
課題を抱えた人たちが、その才能を遺憾なく発揮できる職場。

刺激をうけること大です。


このあたり、僕らがせっせと走り回ってつくった
関西弁で言う「へんこ」をサポートするための組織、
【株式会社へんこ】の設立背景と重なる部分が
なきにしもあらずな感じです。

なんとなくの傾向ではありますが、能力がある人って、
けっこう変なヤツだったりすることが多い訳で。
その変なところをきちっと受け止めて、
社会的に「病的」とみなされていることでも
別に個性のひとつだよ~、と軽やかに感じることができれば
その人の才能を社会のためにフルに生かすことができます。

何だかんだ言って社会常識にしばられて日々を生きていると、
なかなか難しい部分もあるだろうけど、
結局こういうのは慣れの問題なのだと思います。

ちなみに周囲を見回してみると、農業現場って、
案外そっち系の人が多い気がします。
発達障害の人たちって(僕自身も結構怪しいけど)
社会性の部分が不器用な分、個がはっきりしている。
「自分ごと化」するスキルが高いというか、
自分がやりたいことしかやらない、
っていう場合が多いと感じます。

「過集中」つまり心理学とかで言う「フロー」に
容易に入ることができるのは
まぁほとんどイコール「才能」に違いありません。

多様性を互い認められるような仕組みをつくりだすことで、
これまで孤立し、死に駒となっていたピースを
社会のなかに巻き込んでいくことができる。
これはこれからの社会を元気にしていくうえで、
とても大切なことなのではないのでしょうか?


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そんなこんなで、色々考えるうち、

 見えてる(ヴィジョンを持てている)、

 見てもらえる(共感性を保てている)

ということをスキームにしてみたら
何か分かるかなぁ、と書いてみたのが下図。

で、気付いたことを色々記入していったら
なんだか結構すっきりしてきた。

 

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まだあくまで試論レベルなので、
皆さまからもご意見を頂きたいところですが、
少しだけ解説してみます。

【縦軸】は「見えてる」程度を表す。
世界についての客観的な認識を保ち、
これからどうなっていくかも含めて、
見通しを持てている状態です。
これは世界を「能動的」に捉えている状態でもあります。

でもこっちの方向が絶対よいかといえば、
すぐに案外そういうわけでもない、と気づく。
どうにもならない厳しい状況が続くような時は、
「見えてない」まま感覚的なものに身を委ねて、
日々を生きているほうがずっといい場合だってあるのです。
そっちの感性を磨くこと、つまり「見ない」こと。
それが上記の「見えてる」の対極にある。
キーワードは「受動的」。

【横軸】は社会のなかに溶け込む程度。
皆に認められて、共同性、共感の中に
安心してどっぷり浸かっていられる状態を一極に、
自分の存在、「個」を唯一無二のものとして
高らかに歌い上げる状態をもう一極に置きました。

で、このスコープを使って
現代日本社会を眺めてみて気づいたのは、

「見えてる×個」に価値を置く層

「感覚的×皆で共有」に価値を置く層

の二軸が優勢になっているのではないか、ということ。
そしてそれぞれの極へどんどん分離していってる。

今の資本主義の展開に都合がよいというか、
馴染みのよい傾向にあるものが育てられ、
社会の「正常」を構成している感じ。

で、僕が今コミットしている「オーガニック」って
何だろうと思っていたら、

「見えてる×皆で共有」に価値を置く層、と

「感覚的×個」に価値を置く層、を

相互に矛盾したままで共存させようとする、
そんな動きではないかなぁ、と。

ただ、これらの層は現代の世相のなかでは
他者とうまく折り合えなかったり、
やや病的な傾向として扱われることが
多い層のように見えます。

その病的傾向をキツメに表現してみれば、
「強迫神経症(パラノイア)」
「分裂症(スキゾフレニー)」
って感じでしょうか。

2極に分裂し発散していこうとする
現在の「正常」のゾーン(領域)を
ぐっと押し倒して傾けつつ、
ゼロ点へ収束させたい。

オーガニックのムーブメントを
多様性と共感性を優先する政治志向と見ると、
何と言うか、こんな感じなのかなぁ、
というちょっと粗めの考察でした。


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なんていうアイディアに取りつかれて、
えっちらおっちら整理していたら
いつの間にかお昼になってしまった。
現実に帰ろう。

なんか最近、事務所にめっちゃハエ多い。
ちと耐えがたい。

荷物の受け出しやらで出入りが多いので
常に扉開けっぱなしになってるせいか?
お昼はいつも煮炊きしてるし。
コーヒーの匂いがフェロモンに近いとか何とか…。

何人かの人たちにバボナ買ったら、と勧められました。

何とかしよ。