日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

本駒込の富士山

 

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ふと思い立って、久しぶりに吉本隆明に触れたい、
と思ってググっていたら「ほぼ日」にこんなのがあった。
糸井重里さんさすが、GJ)

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肉声ってのはやっぱり凄いなぁ。力がある。
改めてこの人が語ってきたことの価値を認識。

イスラムがどうとか、政治とか、日本の景気がどうとか、
そういう遠くて余計なことなんか考えない、
明日ちゃんとお金が入ってくるか、とか、
うちの息子がどうもやんちゃくれでいかん、とか、
そんな明日のことだけしか考えない、
それが実は一番価値ある生き方だということ。
(理想形としての「百姓」)

キリストのいう「明日のことを思い煩うな」
ってのを完全にひっくりかえしちゃう。
明日のことだけを思い煩うことこそが「価値」。

僕らはあくまで日々の生活に根を張る。

そのことを十分に分かったうえで、
ついつい余計な観念的なことを考えちゃって
素直に生きられない「駄目な」自分であることを
目をそらすことなく、自覚し認識し続けるのは大事。
その「根っこ」を断ち切ることなく、
フラットな地平から皆に語り続けていく先に
はじめて「共同性」が成立し得る。

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10年前、僕が農業をはじめたとき、
大きな物語を捨てて、自然のなかで
「日々の暮らし」に生きようと思った。
鎧を脱ぎ捨てていくプロセスは
間違いなく自分を救ってくれた。

だが、スタッフを雇い入れ、家族が増え、
社会的に諸々のことに巻き込まれるなかで、
現場・畑から離れることが増えていく。

空中浮遊。

現代を生きる人たちから見れば、
社会的なポジションを浮上していくことは
望ましいことに見えるかもしれない。
僕の両親だってきっとそれを喜んでるし、
ようやく安心できそうだ、とほっとしているだろう。

だけど、僕自身にとってはそれが苦痛そのものでもあった。
数年スパンで生活を見通した時、この暮らしは維持できない。
でも、自分だけ勝ちに行く、というスタイルでは
結局はBreakTroughできない気がしていた。

時間はかかるかもしれないけれど、
少しずつ社会構造そのものを動かしていかないと
地域や百姓という存在が「じり貧」になっていくように感じたし、
だからこそ自ら浮上せざるを得なかった、ということ。

放射性がれきの伊賀持ち込み問題も背を押した。
西日本最大級の最終処分場がここにあるということ。
都市のごみを処理することを生業にする地域の悲哀。
正義感に酔えるようなつまらない話じゃない。
暮らしを守らなきゃいけないってこと。

仲間や家族の生活(=幸せ)を守り育てたいと思ったから
僕はこうせざるを得ないと決めた。
一旦放り投げておきながら、また必死にしがみつく、
二重にねじれたこの感覚は、なかなか分かってもらえないし、
それが僕を苦しめてきたけれど、この半年ちょっとの間で、
やっと自分なりに事態が呑みこめてきたと思う。
足掻いて足掻いているうちに状況も少しずつ動いてきた。

幸せになりたいだけなんだよねぇ。
心から。

そして、そのためにも、
「皆に」幸せになってほしい。

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1970年に語られたこの吉本隆明の言葉によって
僕は本当に救われた想いがした。

自分に与えられた道を歩き尽くすこと。

明日のために。