日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

農業法人化 ~ Song of the South ~ Selma

ここ最近、これまでやってきたことを整理し、

これから進んでいく道を見定めていく、

そんな作業を腰を据えてやる必要性を強く感じている。

 

今日も、そんなことをぼんやりと考えていたら

Facebookの一つの投稿が目に入ってきた。

 

メロンを生産されている寺坂さんによる

農業の法人化をめぐってのディスカッション。

農業やるなら法人化なんてしない方がいい…という投げかけ。

 

www.facebook.com

 

 

色々考えさせられるなか、同じ本について

検索をかけてみたところ下記リンク先の書評があったので

ざっと斜め読みをしていたら、最後のところで

Alabamaというバンドの曲 ”Song of the South” が紹介されていた。

 

book-jockey.com

 

 

 

www.youtube.com

 Song of the South 歌詞(Lyrics)

genius.com

 

★ブログにあった歌詞概訳↓

これは南部の農家の歌♪
今は誰も語らないけど すべてが消えてしまった♪
必死になって綿花を栽培したけど お金にはならなかった♪
父さんはベテランで 民主党員だった♪
誰かがいった 大恐慌がきたって♪
綿花は大きくならず 雑草ばかり大きくなった♪
ぼくたちは貧しくなったけど ルーズベルトが救ってくれるって♪
結局ママは病気になって パパは農家をやめた♪
うちの畑は 州のものになった♪
パパはルーズベルト公共工事で働いて♪
洗濯機とシボレーを買ったよ♪
南部の歌を歌おうか♪
風と共にすべてが消え去ったいま♪
誰も過去を振り返らない♪

 

...

 

米国南部はかつて多くの黒人奴隷を抱えて

綿花栽培を行っていた農業地域だ。

南北戦争を通じて奴隷解放宣言が出され、

奴隷を使っていた白人農業者たちは

労働者となった黒人に対して給料を払う必要が出て

経営的にはとても苦しくなっていったはずだ。

大規模農業者への集約・統廃合も進んでいったことだろう。

 

そんな中で苦しいながらも踏ん張っていた農家たちが

1929年の大恐慌で綿花の価格が暴落したときに一気に潰れた。

大半は公共工事の仕事をもらう土建屋になったりして

雇われの身になりながら、生活を立てていったことだろう。

 

ま、何処も同じ…という何かがそこにある。。

 

ただ、そうして貧しい白人(Red Neck)たちの一部は

ルサンチマンを黒人たちにぶつけることになり、

黒人に対する人種差別感情は南部に根強く残り続けた。

1960年代までは表立っての差別制度も多々許されていた。

KKKのような人種差別的な私刑組織も存在していた。

 

ちなみに、僕は1989-90年に米国アラバマ州にある

Selmaという小さな町の高校に1年間留学していた。

先のバンドはそのアラバマ州出身のメンバーからなる

カントリーミュージックのメジャーバンドだ。

そして僕が留学した都市の前年

1988年に全米ビルボードチャートで

1位になったのが ”Song of the South”という曲。

 

 

Selmaという町は奴隷制をめぐって南北が衝突した

南北戦争】の激戦地として知られるとともに、

人種差別政策との闘い(公民権運動)において

クライマックスとなる場面の一つ「血の日曜日事件」が

起こった町であり、主流非主流、支配被支配の軋轢、

もろもろの遺恨が色濃く残るところだ。

 

 

実は僕のいた1990年にはこうした事情を

象徴するようなちょっとした事件が起きた。

しかも、僕自身が通っていた高校をめぐってだ。

白人と黒人が半々所属していた学校は

歴代初めての黒人校長を迎え、その改革により

引き起こされた様々な感情の軋轢により、

人種間対立が先鋭化、白人の多数は学校を辞めた。

緊迫感のなか、州軍が高校に駐屯するという異常事態。

アメリカの田舎町での出来事だが、日本のテレビでも

流れたほどの一大事件だった。

 

www.washingtonpost.com

 

 

当時の僕自身は、白人側の一番豊かな層の

コミュニティに属する家族にホームステイしていた。

言葉がそれほど分からなかったこともあり、

この出来事は結局のところどういうことなのかわからず、

未消化のまま自分の心の奥底に沈んでいった。

ただ、当時感じた薄く引き伸ばされたようなHatredの感情、

湧き上がる黒人の人たちのエネルギーに圧倒された感覚は

心の中の何か奥深いところに「痛み」として残っていた。

 

通常の暮らしのなかではこのことは記憶の彼方だったが、

3年ほど前に当時のことをVIVIDに思い返す機会があった。

 

ひとつは大統領選挙でトランプが台頭してきたときで、

彼を支える特定の「層」、彼らの感情は

一体どこから来るのだろう、と考えたとき。

 

そしてもう一つは、2017年初頭に

生まれて初めてアフリカに行くチャンスを得て、

自分のなかでは恐怖の対象でしかなかった「黒人」が

確かなルーツを持った存在だったということを

彼の地で肌身に体感することができたときだった。

 

奴隷として連れてこられた米国の黒人の末裔、

そういう存在しか知らなかった自分が

その故郷の自然風土に触れ、またその音楽に触れたとき、

積み重ねられてきた歴史のリアリティが

はじめて実像を結んだ、ということ。

 

今日の一連の思考とサーベイ

農業の法人化 ~ Song of the south と当て所なく泳ぐなかで、

これも何かの縁だと思い、マーチンルーサーキングの活動の

クライマックスの一つである血の日曜日を題材にした

映画 ”SELMA"を観た。
(邦題「グローリー:明日への更新」2015年)

 

 

eiga.com

 

 

マイノリティ、被支配層が

踏みつぶされ続けることを拒絶して

事態を変えるためにすべきことは何か?

そこに求められたエートスは?

現代の状況に照らしたとき、そこに有効性を持つものはあるのか?

 

30年前、高校2年生の自分がもがいていた町。

思い出したくないような、思い出したいような・・・

今現在の悩み、これからどう生きていくか、に直結する

とても深いところに在るものに触れる時となった。

 

多様なものが共に生きていくということ。

持てる者、持たざる者。

支配する者、される者。

喰らうもの、喰らわれるもの。(動物と植物?)

自立とは何か。共生とは何か。

農という、生命と向き合う営みの意味は?

 

7年ほどの会社経営の足掻きのなかで

「株式会社」というシステムが

現代の諸問題に向き合っていくには

力不足であることは常々感じるようになっている。

 

今の自分にできることは何か?

取るべき戦略はどういうものになるか?

 

ここで得たヒントを取り込みつつ、もう少し考えてみたい。

 

つづく(多分)。