食べること いのちをつなぐこと
この2~3年のあいだ、今の時代状況のなかにあって、
これからの持続可能な農と食のありようをイメージして
どんな組織、社会のかたちを良しとするべきかを考え続け、
実践へ向けた模索を続けてきました。
答えは降ってこない。
それは描かれていくものです。
僕自身、地べたを這いつくばって、
数多くの人たちと交わり、
知らなかった数多くのことを学び、
そうして自分のこころを耕しながら、
だんだん実感として掴めてきたことがあります。
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僕らが求めるべきこと、為すべきことは、
理想郷というようなものを描くことよりも、
暮らしのなか、仕事のなかで、
皆と語りあい、試行錯誤を尽くしながら
ひとりひとりが自らの意志によって
ベストと思われる基本ルールを設定すること。
そしてそれをコツコツと誠実に
実践し続けることなのではないでしょうか。
裏切らず、言い訳せず、
怯えず、他者を気にせず、黙々と、
他者をしばるためではなく、
自ら自分のために定めたルールと向き合って生きる。
理想に達するために苦行の道を歩いていく、とか、
ひとつひとつ課題を見出し、解決していく、とか、
それに意味がないとは決して思わないけれど、
実は本当に強い武器というものは、
他愛のないようなもののように見えて
静かに確実に浸透し広がっていく力を持つのです。
そんな波及力のある、「鍵」になりうる
すぐれたルールを設定できるかどうか。
そしてそれを明確に意識して実践し続けられるかどうか。
その設定の仕方、時の積み重ね方、
それが肝要ではないかと思うのです。
このところがきちんとクリアできれば
それだけで自然に解決されていく問題が
本当にたくさんあると今は感じています。
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たとえば「食べることを大切に扱う」
というルールを決めること。
日々の食事に意識をしっかり向け、
その素材のひとつひとつを意識し、学び知り、
食べる時間を豊かな時間として楽しむこと。
食材ひとつひとつは生命を宿していたものに違いない。
そのたどった歴史を想像し、味わい、頂く。
その生命を育て、届けた人々の暮らしに想いを致す。
それを地道に続けることができる風土なら
持続可能性という点で将来を見通して、
何の心配もないのではないでしょうか。
生命を奪い、頂く、「食」という営みを通じて、
「いのち」がきちんと継承されること。
それが世界を構成する
もっとも重要な要素なのかもしれません。
生きるために
日々再現される
食を介した社会的連鎖のなかで
食を介した生態系の連鎖のなかで
エネルギーのこと、お金のこと、
戦争のこと、教育のこと、
こころの病のこと、文化の断絶のこと、
様々な問題群は発生し続けます。
それはきっと消えることがない。
でも「食」という「いのち」に向き合う時間が
豊かであり、喜びに溢れているならば
一見複雑なあらゆる問題解決の道は
静かにひも解かれていくのではないか、
今はそんな気がしてなりません。
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僕はひとりで背負いすぎてきました。
どうやらすこし命を粗末にしてきました。
でも自分を救えぬ者は人をも救えない。
いろいろ考え直すときが来ているのかもしれません。
経営者として、リーダーとして、
もっともっと学びを深めなければならない
そんな位置に置かれるなかで、
本当に大切なことは
案外盲点になっていたかもしれません。
いのちをつなぐこと。
上求菩提 下化衆生