日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

止まれ

日本はこれからどこへ行くのか (内田樹の研究室)

スレッドに流れてきた内田樹氏の文章。

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拾い上げるべき内容がそこここに転がっているように感じる。

マスコミへの批判がやや過多なのは御愛嬌として、

「止まれ」のシグナルについてのくだりはその通りだろう。

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僕らは既に、オバケのような「経済成長」という

見てくれの成長と決別して、

ひとりひとりが真の意味での豊かさ、

そして人間的な成熟を深めていく方向に

大きく舵を切っているのではないかと思う。

若い世代であればあるほど、その進行は顕著だ。

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どんなに年老いて、たとえ死のときを迎えつつあっても、

人は前に向かって歩いていくものだ。

その過程の中で学びつづけ、より豊かになり続ける。

そのことを深く得心できるのであれば、

「止まる」ことを恐れる必要は、なにも、ない。

 


(追記)

一見、矛盾するようだけど、

「止まらない」「止めるべきでない」

ものはあると僕は思っています。

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大河のように流れる人類の歴史、

さらには生命の歴史。

知は、進化は、進み続ける。

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ここでいう、「止める」というのは

あくまで資本(や情報)の増大という無意識的な運動に

節操無く身を委ねることを止める、

ということに過ぎないのかもしれません。

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高みを目指す人の進化、生命の流れは

らせんのように緩やかに上昇を続ける、

そんな気がします。

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あとは自分自身がどこに身を置くか、

ということだけです。

 

 

----------以下引用--------------

 

世界史的スケールで見ると、世界は「縮小」プロセスに

入っていると私は見ている。

「縮小」と言ってもいいし、「定常化」と言ってもいいし、

「単純再生産」と言ってもいい。

「無限のイノベーションに駆動されて

加速度的に変化し成長し続ける世界」

というイメージはもう終わりに近づいている。

別にそれが「悪いもの」だから終わるのではない。

変化が加速し過ぎたせいで、ある時点で、

その変化のスピードが生身の人間が耐えることのできる

限界を超えてしまったからである。

もうこれ以上はこの速さについてゆけないので人々は

「ブレーキを踏む」という選択をすることになった。

別に誰かが「そうしよう」と決めたわけでもないし、

主導するような社会理論があったわけでもない。

集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。

相互に無関係なさまざまなプレイヤーが

相互に無関係なエリアで同時多発的に同じ行動を取る。

今起きているのはそれである。

「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが

全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである。 

 

私たちの世界が今求めている言葉はそれである。

「止まれ」である。

「落ち着け」である。

「浮き足立つな」である。

停止することが決定的な変化を意味するような

局面というものがある。自分たちがこれまで使ってきた

度量衡や価値観や効果的なはずのウェポンが

無効になる局面になったときには、

「どうしていいかわからない」と

素直に認めるところからしか話は始まらない。

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