日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

重力をどう考えるかが大きく変わった ⇒ 宇宙(時空)の捉えかたが変わった

 
これは超~面白いなぁ。

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他のことが頭から全部吹っ飛ぶくらい

僕にとっては、大きなインパクトがあった。

いやぁ、固定観念をだいぶ覆すんじゃない?これ。

頭を整理してこの意味をちゃんと理解したい。

(論文読む時間と脳みそキャパが足りないかなぁ・・・)

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重力は宇宙の基礎的な力ではなく、

“創発的な現象”だとする捉えかた。

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この世界の成り立ちを理解するうえで、

世界を「モノ」(粒子)の集まりとしてではなく、

全体としてひとつの「場」としてとらえる、

そんなパラダイム転換が確実に進行するなかで、

最後の牙城が陥落しそうな感じ。

統一理論近し!?

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重力は「モノ」が存在するところに現れる

力(相互作用)、時空のゆがみとされてきた。

でも、宇宙の観察をしていたら

いくつか辻褄合わないことがあって、

「モノ」が無いのに重力が測定されるのはおかしいから、

何か存在することにしよう ⇒「ダークマター」。

でも、それってなかなか無理筋じゃねぇ?

http://tocana.jp/2016/12/post_11833_entry.html

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ってことで、エントロピック重力の登場。

実在する「モノ」の間に働く「力」ではなく、

時空におけるエネルギー分散の変化過程、

つまり、エントロピー増大過程として重力をとらえる。

別の言い方をすれば、散逸構造(エネルギーの河の流れ方)

のなかに重力を見ること。

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※エントロピー増大とは「宇宙の河」として

 エネルギーが集まったり離れたりしながら

 海へ、海へと、流れていくことに相当する。

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重力を「エントロピックな力」として捉えることの意味は、

たとえば浸透圧をイメージするとわかりやすいかも。

(ナメクジに塩を振ると、濃い状態を薄めようとして

 体外に水が噴き出して死んでしまうやつですな。)

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薄い溶液と濃い溶液が膜を隔てて並んでいるとき、

水は薄いほうから濃いほうへと膜を透過して流れ、

最終的にどちらも同じ濃度になるまでそれが続くのだが、

こうした濃度の差異が「水の流れ」を生み出す

ポテンシャル =「力」となっているところが味噌。

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時空 : 水

質量(エネルギー) : 溶質

重力 : 浸透圧

みたいな感じかな?(けっこう適当なので後で議論要。)

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個人的には学生のころから、物理法則と生命科学、

ひいては社会科学(経済学や社会学)、

さらには倫理や宗教との接合の動きに

これまでずっと関心を持ち続けている。

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プリゴジンが非平衡系のエントロピーに着目して

散逸構造の理論体系を生み出し、

その流れの上にできた複雑系~カオス理論を経て

生命現象の描像は大きく塗り替えられた。

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ここで重力現象を非平衡熱力学に組み込むことは

生命と非生命、観察者と被観察者との境界を崩し去り、

統一現象、場として捉えるための武器を与えてくれる、

そんな気がしている。

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宇宙論的スケールの生命(=生きる意志)に関して

論が展開できる数学的な表現の足掛かりができるかも。

いやはや、こりゃ何ともワクワク。

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こうなると、物理エントロピーと情報エントロピーとの

数学的な接合面(境界条件)がきちんと整備できれば、

「生命」と「意志」や「知」との数学的橋渡しにも近づいて、

「神」はより近く、ヴィヴィッドに

捉えられるようになっていくのだろう。

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「モノ」に執着することなかれ。

この世界は時空とエネルギーの戯れ。

されど、そこに神は厳然と存在し続ける。

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・・・・

大学院時代に光(電磁場)のエントロピーについて

理解を深めるため、悶絶しながら格闘していた日々が

今更ながらまざまざと蘇ってきて嬉しいわぁ。

物理学、マジ楽しいよなぁ。やっててよかった。

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今、農業生産と流通の現場に身を置きながら、

あるいは経営者として「会社」という「生命」を

護り育てる役割を与えられるなかで、

自分が長らくかけて学んできたことが

余すことなく意味を与えられ、接合されていくことに、

ただただ、畏敬の念を覚える。

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この世界の恵みに感謝。