日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

事業とひと

ここ最近、事業がうまくまわるかどうかは
すべて「ひと」に懸っているということを
腹の底から確信するようになりました。

一経営者として、今、「人」についてどう考えるか、...
昨日、FBの投稿に触発されて考えたこと、
ここであらためて整理してみます。

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【オーガニック】の世界では多様性を重視する。
だからこそ、豊かな多様性が織りなす
一見カオスのような環境のなかで、
身を持ち崩さず、しっかり歩き続けるために、
確かなひと、もの、こと、
つまり【本物】を見出す力が強く要求されます。

人を育て、使いこなす経営者となるためには、
一人一人の特性を徹底的に観察し、
その伸びようとする方向を見定めて
事業の進展と育成が螺旋を織りなすよう
一人一人毎のオーダーメイドのプロジェクトを
立ち上げていかないといけない。

それはちょうど野菜を育てる農家が
品種や栽培環境をしっかり理解したうえで、
日々の観察と手入れをし続けるのと全く同じ。
野菜よりも人間のほうが
ちょっぴり複雑なところもあるけれど。

経営サイドの都合にあわせて
合理的な仕組にぴったりはまるような
替えのきく、スペックで定義できる、
そんな人材を求めるのは、まるで僕らの流儀じゃない。

出会い(面接)の際に全身を目覚めさせて観察し、
相手のなかにきらりと光るエネルギー源を見出す
ことができるのであれば、その可能性に賭ける。
そうして呼応するものがなければ
その人とは縁がなかったということです。

採用を決めたのなら、あとはその人がどういおうと
最後まで付き合い続けるしかない。
自分が下した判断は、自分の存在そのもの
だからこそ、引き受けたものは最後まで引き受ける。

そういう覚悟があるのであれば、
人を使い捨ての労働力として扱うような発想に
そもそもなりえないのだと思います。
雇い入れた人間は、もはや自分の一部となっているので。

いや、そりゃもちろん、
「ろくな仕事しねぇな」って
口癖のように言ってはいるけれど、
それがそいつの本気の成長を期待しているからだ、
と本人が分かってくれるには
どうしたって3年や5年はかかってしまう、
それを耐えねば。

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親は我慢、我慢。

早く芽を出せ、出さねばちょん切るぞ
の蟹さんにならないこと。

子供が育つというのは
そういうことだ。
野菜が育つというのは
そういうことだ。
生きること、生かされることは
そういうことだ。

そこに愛がある。

僕らが腹をくくってここに立ち
こうして事業を回していくにあたり、
スタッフはこの生命活動を担う細胞であり、
一人一人がその責任主体なのです。

当然ながら僕自身だって、
プロジェクトという生命体の
一細胞にすぎないということを
よくよく分かって引き受けているのです。

よきもの、よきこと、そしてよきひと
僕らはそれを創るために走る。

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もし、彼らが旅立つというのであれば、
それが彼らにとって本当に幸せなのかどうか、
自分の持てる知識をフル動員して
いい道はいい、駄目な道は駄目、
としっかり教えてあげることしかできない。

スタッフを自分自身の欲望を満たすための
「駒」にしていないかどうか、それはいつだって、
絶えず、痛いほど心のなかで問い続けています。
同じ密度で彼らがそういう姿勢で
公の心で事業に取り組んでいけるかどうか。

経験上感じることですが、
うちの場合、スタッフがただ使われていると
感じるようになっているときには、
むしろその本人が会社と僕を利用しようしていて、
それがこちらとぶつかって心苦しくなる、
そういうケースが多いようです。
(むろん「絶対」はないのですが。)

ヒントは自分のなかにある。
どっちがより多く出してやっている
どっちがより多く取っている、
そういう泥仕合は子供じみています。

本当は、余計に出したもの勝ち、なんです。
長期で、グローバルにものを見ることができる人にとってはね。

親に甘え続ける、ぬるま湯的な感情に飲みこまれ、
自分を制御できなくなってしまうこころ。
言い訳と、責任逃れと、先延ばしと、
こころはどんどんとぬかるみにはまっていく。
そんなとき、たいてい彼らはこちらの目を見てしゃべれない。
きっと父親不在で育ってきたんだろうな、
そんなふうに思います。

守るは守る。
ならぬものはならぬ。
それを経験してこなかったことは
不幸。

ちなみに、松下幸之助さんは採用に際して
「自分がとても運がよく恵まれている」と
言える人間だけを取ったらしいです。
これはとても理にかなっている。

自ら人と状況に感謝できない人間は
感謝される仕事を為し得ない。

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出会いがあれば別れもある。

思い通りにならないのは人生の常。
露地で野菜を作りつづけるなかで
雨風に叩かれながら、それを身体にたたき込み、
ひたすら学び続けてきました。
もちろん、それは今も同じです。

だからこそ、
自分が引き受けると決めた人間は、
受け止め、育て続ける。
それが社会のなかで
事業を営むものとして
未来に夢を描き続けるものとして
【MUST】のことだと思うのです。

ここに囲い込むためではなく、
ともに社会のために何かを為そうとする、
そういう意志をもって入ってきた連中は
だから、間違いなく「家族」です。

背負う、ってのは
そういうことなのではないでしょうか?