お伊勢詣り
昨日は伊勢神宮にお詣りに。
古の習わしどおり、
外宮(衣食住を司る豊受大神)から
内宮(主神・天照大神)へ。
神恩感謝のご祈祷の後、
夕暮れまでに月読宮にも入ることができた。
神域に在るときは、ほんのひととき、
日常の流れがすーっと停止して
己の心を大きな自然の鏡に映すような
そんな感覚を持てるのが好きだ。
木立ちの間を速歩で駆け抜けるうちに
節目を迎えたこの一年余の間に
通り過ぎていった幾多の出来事が
ふつふつと湧き上がっては去っていく。
「修羅場」っていうか、事態の真最中には
それこそ天地がひっくり返ったように
感じていたいくつかの出来事さえ、
今では心の中に静かに澱を為して眠っている。
杜を歩むうちに漂いゆく物思いは
当時は烈火のように燃え盛った感情も、
遠くの風景のように眺めることを助けてくれる。
太古の昔より、幾多の魂が心を鎮めてきた場所には、
そんな力が宿っているような気がする。
今は、こうして無事にいのちを永らえ、
幾多のいのちと心を通わすことができる、
そのことに、ただ、ただ、感謝。
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年も暮れかかったこの時期
ふと思い立って神社を巡るなかで
改めて気づかされたことは
「対」のもつ重要な意味。
正しさを貫く魂と、荒ぶる魂。
神はいつも、対を為して在る。
光と闇。
意識と無意識。
言葉と感情。
男と女。
秩序とカオス。
あっちの極からこっちの極へ。
世界はもつれあう対を形成し、
生成と消滅を繰り返しながら、
静かに物語を織り成していく。