経済は選べるものに
おぉ、これはいい!
★最終的に経済は選べるものになっていく
◎遠くの誰かのモノを買ったり、サービスを
受けることができるようになったので
1人が100万円を払うのではなく、100万人が1円を
払うようなビジネスが生まれてきてもいい…
◎今の基本通貨は増えていくのが一般的ですが、
価値が時間とともに減っていく通貨があってもいい。
もしかすると、通貨に賞味期限のようなものが
あってもいいかもしれない...
◎スマホのなかにお金の流れが凝縮されることで、
結果的に自分の与信スコアが分かるようになる。
人間はそのスコアを上げることに努力するように
なるのではないでしょうか。つまり、お金ではなく
与信を見るだけで良くなる...
◎国家と企業の境界線みたいなものが消失しつつある...
経済はもともと政府の大臣が考えていましたが、
今では企業のCEOや担当者が自分たちの
経済システムを構築しつつある...
◎今後10〜20年、どの経済システムのどの通貨で
自分の価値を保存していくのかを選べるように
なっていくのではないでしょうか。
個人の嗜好に合わせて選べる経済を作りたい...
◎人口統計的に東洋・インドが中心になる
21世紀に経済的価値はいかに変化するのか?
◎FinTechは人間の感情面にいかなる影響を及ぼすのか。
経済にエモーションが復活するのではないか?
テロリズムは自己生成されている
感受性
美しいもの、優れたものを見たとき
素直に良いと言えるかどうか。
苦しんでいる人を見たときに
手を差し伸べられるかどうか。
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心を動かされないよう、見て見ぬふりして
自分のなかで言い訳を繰り返すうちに
壁が一段、一段と積み重ねられる。
美しいものや苦しい人を笑い、蔑むようになり
己の賢さと冷静さを誇るようになっていく。
それが「心の壁」というもの。
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見ざる、聞かざる、言わざる。
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人はいつだって弱く、妬みと不安に呑まれやすい。
何で自分ではなくあいつがいい想いをするんだとか、
何が起こるか分からないのは嫌だ、不安だとか、
心の底にそんな気持ちがちらりとでも浮かべば
何かしら理由をでっちあげて現実を拒絶する。
それが「心の壁」というもの。
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でも人間は逆のことだってできるんじゃないかな?
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他人のねたみや、不安や恐怖、狡知を、
見て見ぬふりをして受け流す。
にこにこ笑って、ま、いいか。
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見ざる、聞かざる、言わざる。
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ただただ、自分の現実をしっかり受け止めて
そこに浮かび上がる感情を味わい尽くす。
満ち足りて飽きたら、さ、次へ。
そうやって自分自身の状態をキープ(自立)。
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ゆとりが出てくれば、周りを見回して。
心が寂しい人たちは放火魔みたいなものだ。
狭い世界だし、逃げ続けてもキリがないので
延焼を防ぐために鎮火しときましょうか。
しっかり消すことができたらあとは種まき。
それ、焼き畑農業みたいなもんだな。
そうやって「いのち」は広がっていく(共生)。
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まぁ慌てず、ぼちぼちで。
「心の壁」と向き合っていこうか。
心の壁
人を連帯させ前に動かしていくのが「ヴィジョン」なら
人と人とを争わせ分裂させるのは「心の壁」・・・
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「”誰もが人生の中で”目的感を持てる世界を創り出す」
ザッカーバーグが語ったヴィジョンはとても魅力的で、
それに呼応して、日常の仕事や暮らしのなかで
自分が実践していけることについて考えています。
ひとりひとりが皆、生きる【目的】を感じながら
イキイキと暮らしていくにはどうすればよいだろうか?
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コミュニティのなかでは、メンバーひとりひとりが
自由に発言し、また行動する雰囲気が、
全体の活力を生み出していきます(平等原理)。
では、それを妨げてしまう「心の壁」は
何故、どのようにつくられていくのでしょう?
そのメカニズムをよく理解したうえで、
絶えず生成される固定観念や感情を
崩していく技術を磨く必要がありそうです。
(「心」のサイエンスとエンジニアリング)
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ってなことで、タイムリーに流れてきた
リンク先の坪井一真さんの記事が
とても参考になりました。
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さっそく実践に移していけるかな!?
ムーブ型かステイ型か
物事を相対する二極に分けて分析する手法は
思考を整理する上でとても役に立つ。
矛盾しあうものが相対するとき推進力が生まれる。
正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)とが
ぶつかり合い融合しあう様を見つめることで
より高次の視界が開けることを受け入れる
「弁証法」という思考の習慣だ。
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「ヒョウタンから駒」のように
相互作用のなかで予想外の解が現れて、
「はい、次行ってみよう!」ってなる。
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組織・コミュニティをどう設計するか?
ムーブ型かステイ型か。
グローバルかローカルか。
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つまらぬ2者択一で自己規定をせずとも、
「自立」と「共生」を両立させる手法が
徐々に世界に浸透してきている気がする。
若い世代はその「解」を直観的に知ってそうだ。
執着し続けるおっさん・おばさんが
ちゃんと成仏してくれますように。
南無阿弥陀仏。アーメン。
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ザッカーバーグのゴール設定と戦略論は示唆に富む。
”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を創るためには
★一緒に大きくて意味のあるプロジェクトについて語る
★”平等性”を再定義して、誰もがその目的に参加する
自由を持てるようにする
★世界規模のコミュニティを創り出す
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新しいコミュニティ(=家族)は
人類全体を緩やかに統合するものになる。
そこで皆の心をどんなふうに治めていくかが
「平等性の再定義」にあたるわけだ。
それは新たな形の「法」と呼んでもよい。
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次回6/1の京大「変人講座」のスピーカー
法学者の那須先生の視野の先にある
ということの意味も少しクリアに見えてきた。
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ちなみに、コミュニティ(家族)の問題は全て
親子の問題、男女の問題に根ざしていると言える。
こうした問題を包み隠さず、正面から向き合い
これからの時代を開く鍵になりそうだな。
肩に無駄に力の入った状態を離れ、自由になろう。
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恐れず、まっすぐに議論をしていけばいい。
・このコミュニティの目的(ヴィジョン)は何か?
・メンバー全員がそれぞれの目的を実現するために
どんな役割が与えられればよいか?
・メンバー全員に発言する時間と場が与えられているか?
・コミュニティからドロップアウトする際には
心理的・経済的セイフティ・ネットが張られているか?
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そして個々のメンバーはこう問い続ける。
・ここは自分自身に合っているか?楽しいか?
・自分はここに帰属し続けるべきか?
・帰属感を妨げているものは何か?
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流動性を妨げないことがコミュニティの生産性を上げる。
コミュニティそのものが<いのち>として機能し、
それが生き残るための新陳代謝を続ける。
でも幾多のコミュニティを統合する
大きなコミュニティ(すなわち「世界」)が
零れ落ちる小さな「いのち」を拾い上げられるよう
うまく設計していきたいものだ。
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未来は明るい。
誰もが目的感を持てる世界
Face Book 創業者マーク・ザッカーバーグ氏の
ハーバードでのスピーチ日本語訳です。
倉本圭造さんの仕事、批評も含めて素晴らしい。
---以下引用------
今日、僕は「目的」について話します。
しかし「あなたの人生の目的を見つけなさい的な
よくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。
僕らはミレニアル世代なんだから、そんなことは
本能的にやっているはずです。だからそうじゃなくて、
今日僕が話したいことは、
「自分の人生の目標を見つけるだけでは不十分だ」
という話をします。僕らの世代にとっての課題は、
「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を
創り出すこと」なのです。
---以上引用----------------
ではそのための方法は?(以下、本文より抜粋)
★世界に「目的感」を持ってもらうための3つの方法
その1・一緒に大きくて意味のあるプロジェクトについて語る
その2・”平等性”を再定義して誰もがその目的に参加する
自由を持てるようにする
その3・世界規模のコミュニティを創り出す
枯れ木に花を咲かせましょう
嘘と執着の支配する時もそろそろ終盤
正直と悟りの時代が近づいてきたみたい。
そういうポテンシャルを誰しも持ってるから。
皆で豊かになっていければいいなぁ
いつも希望を持ち続けていよう。
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いつだって誰もが皆、
自分の人生を必死に生きてる。
でも、何をやってもうまくいかない時がある。
悩んで、苦しんで、もうどうしようもなくて。
ただ小さくなって震えているときがある。
叫びたくても叫べない、声が出ない、息ができない、
絶望的に助けを求めているのに、助けは来ない。
そんな時がある。
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そこに差し伸べられる「手」があれば
それは何よりも尊くありがたいものになる。
慈しみはいのちを救い、豊かさを生むんだ。
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でもその「メカニズム」を利用しはじめると
世界は途端におかしくなってしまう。
助けることは気持ちいいし、得になる。
だから助ける行為は中毒になりやすい。
空っ風の吹きすさぶ世界の現実のなかで
「暖かさ」を追うことは生きがいになりうる。
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でも、この面倒見てやるという感情は
「執着」に他ならない。
自分よりもっと弱い生命をみつけることで
自分自身の「苦」から目を背けさせる麻薬だ。
誰だって、油断すればこの感情に巻き込まれる。
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だからこそ、支配しよう、利用しようではなく、
ごく単純ないのちへの「慈しみ」に還ることが
とても大切になるのだと感じる。
因縁のなか、「親」の役割が与えられるときに
あれこれ余計な計算をしても、碌なことがない。
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ここ最近、自分に向かって繰り返し語っているのは
弱き己の心を受け入れ、等身大の自分に帰ること。
自分のなかに蠢く情動を静かにじっと見つめ、手放す。
そうすると自ずと他者への愛と慈しみが湧いてくる。
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相手を楽にする方法、幸せにする方法ではなくて
間に在る「暖かいもの」に忠実であればいい。
何とかするための「手段」に意識を集中せず、
ただ頭を空にし、共に在ること、寄り添うこと、
それをひたすら念じ続けるのみ。
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経営とは<いのち>を育てる営みだ。
頭でこね回して「操作」したところで
結局事業は尻すぼみになるに決まっている。
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だから何よりも自分自身を本当に大切にすること、
基底となる「こころ」を磨き続けること、
絶えずそこに立ち戻る。初心忘るるべからず。
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そうして、淡々と、淡々と。
ねたみと怒りが仮初に世界を支配したとしても
執着に呑まれないよう、ニコニコ笑って
ひたすら許し続ける。
だってつまらない、つまらない。
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生命の歴史は悠久なる大河のようなもの。
この小さな小さな器のなかにも
<いのち>の水は流れ込み、そしてこぼれ出る
僕らはこの河に下り、水を汲み、のどを潤し、
後に続くものにそれを手渡していく。
やがて大きな流れのなかに還ることを夢見て
今日も仮象の世界を生き抜いていく。
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故きを温め新しきを知る。
世界を豊かにする真のイノベーションは
小さき心配りの先に生まれるのだと思う。
与えられるものを忠実に模倣するなかで
やがていくつもの気付きがつながり、
時が来れば花を咲かせる。
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慌てることはなにもない。
今はその意味が見えなくても、
点と点はやがて線になり、面になる。
そうして【曼荼羅】は描かれる。
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いやはや、もう夏ですね。
なかなか手が回らず、すっかり伸び伸び
生い茂っていく畑の草を眺めて溜息。
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夏草や兵どもが夢の跡
国破れて山河在り
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この場所、この時に刻まれる物語。
自分の歩んできた道、これから歩む道を
遥かに見晴るかす。
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<いのち>は伸びゆく。
弥栄に。