日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

感受性

美しいもの、優れたものを見たとき

素直に良いと言えるかどうか。

苦しんでいる人を見たときに

手を差し伸べられるかどうか。

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心を動かされないよう、見て見ぬふりして

自分のなかで言い訳を繰り返すうちに

壁が一段、一段と積み重ねられる。

美しいものや苦しい人を笑い、蔑むようになり

己の賢さと冷静さを誇るようになっていく。

それが「心の壁」というもの。

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見ざる、聞かざる、言わざる。

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人はいつだって弱く、妬みと不安に呑まれやすい。

何で自分ではなくあいつがいい想いをするんだとか、

何が起こるか分からないのは嫌だ、不安だとか、

心の底にそんな気持ちがちらりとでも浮かべば

何かしら理由をでっちあげて現実を拒絶する。

それが「心の壁」というもの。

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でも人間は逆のことだってできるんじゃないかな?

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他人のねたみや、不安や恐怖、狡知を、

見て見ぬふりをして受け流す。

にこにこ笑って、ま、いいか。

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見ざる、聞かざる、言わざる。

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ただただ、自分の現実をしっかり受け止めて

そこに浮かび上がる感情を味わい尽くす。

満ち足りて飽きたら、さ、次へ。

そうやって自分自身の状態をキープ(自立)。

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ゆとりが出てくれば、周りを見回して。

心が寂しい人たちは放火魔みたいなものだ。

狭い世界だし、逃げ続けてもキリがないので

延焼を防ぐために鎮火しときましょうか。

しっかり消すことができたらあとは種まき。

それ、焼き畑農業みたいなもんだな。

そうやって「いのち」は広がっていく(共生)。

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まぁ慌てず、ぼちぼちで。

「心の壁」と向き合っていこうか。

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心の壁

tsubolog.com

 

人を連帯させ前に動かしていくのが「ヴィジョン」なら

人と人とを争わせ分裂させるのは「心の壁」・・・

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「”誰もが人生の中で”目的感を持てる世界を創り出す」

ザッカーバーグが語ったヴィジョンはとても魅力的で、

それに呼応して、日常の仕事や暮らしのなかで

自分が実践していけることについて考えています。

ひとりひとりが皆、生きる【目的】を感じながら

イキイキと暮らしていくにはどうすればよいだろうか?

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コミュニティのなかでは、メンバーひとりひとりが

自由に発言し、また行動する雰囲気が、

全体の活力を生み出していきます(平等原理)。

では、それを妨げてしまう「心の壁」は

何故、どのようにつくられていくのでしょう?

そのメカニズムをよく理解したうえで、

絶えず生成される固定観念や感情を

崩していく技術を磨く必要がありそうです。

(「心」のサイエンスとエンジニアリング)

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ってなことで、タイムリーに流れてきた

リンク先の坪井一真さんの記事が

とても参考になりました。

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さっそく実践に移していけるかな!?

ムーブ型かステイ型か

mirai.doda.jp

 

物事を相対する二極に分けて分析する手法は

思考を整理する上でとても役に立つ。

矛盾しあうものが相対するとき推進力が生まれる。

正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)とが

ぶつかり合い融合しあう様を見つめることで

より高次の視界が開けることを受け入れる

弁証法」という思考の習慣だ。

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ヒョウタンから駒」のように

相互作用のなかで予想外の解が現れて、

「はい、次行ってみよう!」ってなる。

それが揚棄アウフヘーベン)というもの。

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組織・コミュニティをどう設計するか?

ムーブ型かステイ型か。

ボトムアップトップダウンか。

グローバルかローカルか。

個人主義全体主義か。

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つまらぬ2者択一で自己規定をせずとも、

「自立」と「共生」を両立させる手法が

徐々に世界に浸透してきている気がする。

若い世代はその「解」を直観的に知ってそうだ。

執着し続けるおっさん・おばさんが

ちゃんと成仏してくれますように。

南無阿弥陀仏。アーメン。

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ザッカーバーグのゴール設定と戦略論は示唆に富む。

”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を創るためには

★一緒に大きくて意味のあるプロジェクトについて語る

★”平等性”を再定義して、誰もがその目的に参加する
     自由を持てるようにする

★世界規模のコミュニティを創り出す

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新しいコミュニティ(=家族)は

人類全体を緩やかに統合するものになる。

そこで皆の心をどんなふうに治めていくかが

「平等性の再定義」にあたるわけだ。

それは新たな形の「法」と呼んでもよい。

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次回6/1の京大「変人講座」のスピーカー

法学者の那須先生の視野の先にある

リバタリアンパターナリズム

ということの意味も少しクリアに見えてきた。

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ちなみに、コミュニティ(家族)の問題は全て

親子の問題、男女の問題に根ざしていると言える。

こうした問題を包み隠さず、正面から向き合い

揚棄アウフヘーベン)するためのテクノロジーが

これからの時代を開く鍵になりそうだな。

肩に無駄に力の入った状態を離れ、自由になろう。

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恐れず、まっすぐに議論をしていけばいい。

・このコミュニティの目的(ヴィジョン)は何か?

・メンバー全員がそれぞれの目的を実現するために 
 どんな役割が与えられればよいか?

・メンバー全員に発言する時間と場が与えられているか?

・コミュニティからドロップアウトする際には
 心理的・経済的セイフティ・ネットが張られているか?

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そして個々のメンバーはこう問い続ける。

・ここは自分自身に合っているか?楽しいか?

・自分はここに帰属し続けるべきか?

・帰属感を妨げているものは何か?

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流動性を妨げないことがコミュニティの生産性を上げる。

コミュニティそのものが<いのち>として機能し、

それが生き残るための新陳代謝を続ける。

でも幾多のコミュニティを統合する

大きなコミュニティ(すなわち「世界」)が

零れ落ちる小さな「いのち」を拾い上げられるよう

うまく設計していきたいものだ。

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未来は明るい。

 

誰もが目的感を持てる世界

blogos.com

 

Face Book 創業者マーク・ザッカーバーグ氏の

ハーバードでのスピーチ日本語訳です。

倉本圭造さんの仕事、批評も含めて素晴らしい。

 

---以下引用------

今日、僕は「目的」について話します。

しかし「あなたの人生の目的を見つけなさい的な

よくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。

僕らはミレニアル世代なんだから、そんなことは

本能的にやっているはずです。だからそうじゃなくて、

今日僕が話したいことは、

「自分の人生の目標を見つけるだけでは不十分だ」

という話をします。僕らの世代にとっての課題は、

「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を

創り出すこと」なのです。

 

---以上引用----------------

 

ではそのための方法は?(以下、本文より抜粋)

★世界に「目的感」を持ってもらうための3つの方法

その1・一緒に大きくて意味のあるプロジェクトについて語る

その2・”平等性”を再定義して誰もがその目的に参加する

     自由を持てるようにする

その3・世界規模のコミュニティを創り出す

枯れ木に花を咲かせましょう

 

嘘と執着の支配する時もそろそろ終盤

正直と悟りの時代が近づいてきたみたい。

そういうポテンシャルを誰しも持ってるから。

皆で豊かになっていければいいなぁ

いつも希望を持ち続けていよう。

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いつだって誰もが皆、

自分の人生を必死に生きてる。

でも、何をやってもうまくいかない時がある。

悩んで、苦しんで、もうどうしようもなくて。

ただ小さくなって震えているときがある。

叫びたくても叫べない、声が出ない、息ができない、

絶望的に助けを求めているのに、助けは来ない。

そんな時がある。

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そこに差し伸べられる「手」があれば

それは何よりも尊くありがたいものになる。

慈しみはいのちを救い、豊かさを生むんだ。

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でもその「メカニズム」を利用しはじめると

世界は途端におかしくなってしまう。

助けることは気持ちいいし、得になる。

だから助ける行為は中毒になりやすい。

空っ風の吹きすさぶ世界の現実のなかで

「暖かさ」を追うことは生きがいになりうる。

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でも、この面倒見てやるという感情は

「執着」に他ならない。

自分よりもっと弱い生命をみつけることで

自分自身の「苦」から目を背けさせる麻薬だ。

誰だって、油断すればこの感情に巻き込まれる。

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だからこそ、支配しよう、利用しようではなく、

ごく単純ないのちへの「慈しみ」に還ることが

とても大切になるのだと感じる。

因縁のなか、「親」の役割が与えられるときに

あれこれ余計な計算をしても、碌なことがない。

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ここ最近、自分に向かって繰り返し語っているのは

弱き己の心を受け入れ、等身大の自分に帰ること。

自分のなかに蠢く情動を静かにじっと見つめ、手放す。

そうすると自ずと他者への愛と慈しみが湧いてくる。

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相手を楽にする方法、幸せにする方法ではなくて

間に在る「暖かいもの」に忠実であればいい。

何とかするための「手段」に意識を集中せず、

ただ頭を空にし、共に在ること、寄り添うこと、

それをひたすら念じ続けるのみ。

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経営とは<いのち>を育てる営みだ。

頭でこね回して「操作」したところで

結局事業は尻すぼみになるに決まっている。

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だから何よりも自分自身を本当に大切にすること、

基底となる「こころ」を磨き続けること、

絶えずそこに立ち戻る。初心忘るるべからず。

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そうして、淡々と、淡々と。

ねたみと怒りが仮初に世界を支配したとしても

執着に呑まれないよう、ニコニコ笑って

ひたすら許し続ける。

だってつまらない、つまらない。

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生命の歴史は悠久なる大河のようなもの。

この小さな小さな器のなかにも

<いのち>の水は流れ込み、そしてこぼれ出る

僕らはこの河に下り、水を汲み、のどを潤し、

後に続くものにそれを手渡していく。

やがて大きな流れのなかに還ることを夢見て

今日も仮象の世界を生き抜いていく。

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故きを温め新しきを知る。

世界を豊かにする真のイノベーション

小さき心配りの先に生まれるのだと思う。

与えられるものを忠実に模倣するなかで

やがていくつもの気付きがつながり、

時が来れば花を咲かせる。

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慌てることはなにもない。

今はその意味が見えなくても、

点と点はやがて線になり、面になる。

そうして【曼荼羅】は描かれる。

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いやはや、もう夏ですね。

なかなか手が回らず、すっかり伸び伸び

生い茂っていく畑の草を眺めて溜息。

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夏草や兵どもが夢の跡

国破れて山河在り

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この場所、この時に刻まれる物語。

自分の歩んできた道、これから歩む道を

遥かに見晴るかす。

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<いのち>は伸びゆく。

弥栄に。

www.dailymotion.com

伊雑宮~佐美長神社

昨日は伊勢での打ち合わせの後に

伊雑宮~佐美長神社に参詣してきました

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今の自分に与えられた役割を

過たず受けとめてゆけるよう

心を鎮め、頭を垂れてきました

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諸行無常、忘るることなく

あらゆるものを手放すことを恐れず

されど心は常に此処に在るよう

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<いのち>の大河、流れ続けよ

弥栄を

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安全安心の果てにある世界は?

webweb.jp

 

インターネットで入手する情報なしでは

日々を過ごすことができない時代。

お役立ちHowToを教えてくれるものから

深い気づきへの促しを与えてくれるものまで

僕らは絶えず膨大な情報フローのただ中にある。

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とはいえインターネットに流れる情報は玉石混交。

デマや思い込みであってもバズってしまえば

もっともらしく感じられるものだ。

「フェイクニュース」が当たり前の時代。

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健康に関する情報収拾サイト(WELQ)の

やり方が大きな問題になって半年ほど。

金儲けのためには間違った情報であろうと

じゃんじゃん垂れ流すことを「是」とする、

そんな企業のガバナンスが問題になった。

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自分たちの生命に関わる事態であるからこそ

情報を求める気持ちは真剣そのもので、

ネットに渦巻くこの救済を求める強いエネルギーを

ビジネスや政治・宗教に利用しない手はないのだ。

そうしてマーケッティング戦略は磨かれ続ける。

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複雑に張り巡らされた罠(トラップ)を見抜けない

リテラシー」のない人たちは

そうした罠に次々と絡め取られていく。

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でも、「世の中のことは何でも知ってる」

なんていう人間はこの世に存在するだろうか?

「教養」の在る無しは確かにあるだろうが、

リテラシーがある」と胸を張って言える人ほど

トンデモナイ迷妄に囚われていることはよくある。

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僕らは皆、「フェイクニュース」の濁流の中で

誰しも命を脅かされるようなリスクを抱えている。

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だから、こんな風に思う人たちもいるだろう。

この事態は不当だ、人を不幸にする虚偽や悪意から

社会の人たち守ってあげる必要がある。

皆が真実を知る、あるいは何が真実かを見分ける力を

しっかりつけさせる、教育していく必要がある。

できない人には常に付き添ってあげる必要がある。

そうした姿勢は子を護る親の役割に擬して、

パターナリズム」と呼ばれている。

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でも庇護者である「大人」のつもりの人たちが

本当に正しく、虚偽のないと胸を張れる

知恵や情報を持っているかといえば、

そんなことはないんじゃないか?

僕らの現実はいつもカオスのなかにあるんだ。

嘘や悪意に負けて飲み込まれるなら

それはそれで運命だからやむを得ない。

全ては自己責任である、という判断を軸に

「自立せよ、お前はお前の道を行け」

というのが「リバタリアン」の思想だ。

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かつて、国家や村や会社が「親」となり子を護った。

それに反抗する人たちはアナーキストと呼ばれた。

しかし、そうした役割が激しく傷んできたなかで

僕らはより高度な社会の統治方法を求められている。

家族そのものまで壊れてきたこの社会のなかで

秩序をつくる磁場全体が創発される時が来ている。

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僕は最近知った「リバタリアンパターナリズム

という言葉にピンと来るものを感じている。

次回開催される京大「変人講座」のスピーカー

那須さんの論文などを斜め読みしながら、

次の時代の社会の秩序形成のあり方について

思いを馳せている。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/…/210568/1/soc.sys_1…

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今回の紹介記事では、

Google が展開する Fake News との闘いのこと、

「質の高い」情報がヒットするよう

常にアルゴリズムを変化させている様子について

数値解析をしながら丁寧に解説してくれている。

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Googleが提供しようとしているのは

新しい形の「パターナリズム」に他ならない。

ただし、検索する本人は自分の意志で決定しているので、

それは「リバタリアン」の思想とも共存可能だ。

「意志」そのものがシステムのなかで

巧妙に誘導されていくような設計が施される。

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人間が安易に救済を求めてしまう心は

深い深い沼のようなものなのだろう。

自らの頭で考えるより、HOWTOを求める人の群れ…

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でもそれで何がわるい!?

ええじゃないか、「南無阿弥陀仏」と唱えていれば。

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にしても、「質の高い情報」というものは

実際のところどこまでも恣意的だよなぁ。

それを選別する基準を担うのは、今のところ人間だ。

やがてはそれを人工知能が担うかもしれないけれど。

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人々をどこへ導いていくのがよいのか?

誰がそれを導いていくのか?

知性は誰によって担われるのか?

そういう人材をいかに育てていくのか?

そこを人工知能に委ねていくことは可能なのか?

僕らの問いはそこへ集中していく。

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支配する側に立つのか、支配される側に立つのか。

その支配構造は実は、植物や家畜と、

彼らを栽培する、育成する農業者の関係と

とてもよく似ているのではないだろうか?

植物は農業者の力を借りて蔓延る。

さらに遡ってしまえば、それはそのまま、

植物と葉緑体ストロマトライト)との関係だ。

これって地球上で生命が繰り返してきた

暮らしの営み=共生そのものじゃないか。

どっちが支配しているかなんて、

もうこの際どうでもいいんじゃね?

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だから僕はもう、あまり悲観していないなぁ。

無知・蒙昧さの程度という意味では、

歴史上のこれまでの時代はもっと酷かったはず。

確かなことは、今や世界中が皆、

オープンな情報に触れるようになってきたこと。

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今はただ、僕は僕に流れ込んだ文化的遺伝子に従い、

己のリテラシーをみがくこと、

Whyを考えることを続けながら

それを後継に伝えていくという作業を

淡々と地道にやっていきたい。

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これは「道」なのだと思う。

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古来、宗教が担ってきた知恵や役割さえも

皆が当たり前に身に着けるようになっていく。

幾多の叡智が集合知として、世界共通の電脳上に

蓄積されていくという人類の挑戦を

楽しんで見つめていればよいのではないだろうか?

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落ち着け。楽観せよ。