日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

プレゼンの会

昨日は大学時代のクラスメイトが集まって
各々の活動についてプレゼンする会がありました。

卒業以来20年という期間に渡って
それぞれがやってきたことについて
ひとりひとりが1時間程度、
じっくり話を語り、聞き合う。

「総合人間学」と名付けられた
新設学部の1期生だった僕たちは
カリキュラムも、研究テーマも、就職も、
「型」と呼べるようなものは
ほとんど与えられることのないまま、
ひとりひとりが銘々に手探りをしながら
それぞれの道(獣道?)を拓いてきました。

紆余曲折の末に、今はそれぞれ、
政治、医療、情報、知財、教育、農業など
多岐にわたる分野に散っていて、
「多様性」とはこのことと思えるくらい、
取り組んでいる仕事はバラバラです。

でも、それぞれの芯にあるテーマは
不思議なほど通底しているようで
そこにはちょっとした驚きを覚えました。

自分の担当、専門分野のことさえ
できていれば、という姿勢は感じられず
それぞれが学びの「統合」を目指して、
粘り強く独自の歩みを続けてる感じ。

そんな皆の話を聞きながら、
「出る杭は打たれる」社会のなかで
しっかり遠くを見据えて揺らぐことなく、
「知」を頼りに灯を掲げていく役割は
とても大事だなぁと、改めて感じました。

で、ここは踏ん張りどころやな、と。

今、こんな時代だからこそ、
「リーダーシップ」が求められています。

それは別に人を統治するってことじゃなくて、
予測もつかないような荒波のなかで
己の軸をちゃんと保ち続ける、
そういう役割、能力のことだと思うのです。

そうして、「自分が自分である」と、
胸を張って言えるからこそ、
誰もがひとりひとり、己の軸を見出せるように
勇気づけていくことができるのだと思います。

僕らは学生時代から、えも言われぬ混沌に
放り込まれ、そのなかを泳ぎ続けるなかで、
知的な「コンパス」を磨かざるをえない、
そんな環境に置かれてきました。

そうして、20年の時を経て、
そうした経験がゆっくり開花のときを
迎えているような気がします。
ずいぶん時間がかかりましたが(^^;

だからこそ、今はその部分を自覚しながら、
我が身を肥やしとして世に与えていこう、
そんな想いを強める機会になりました。

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自分の損得を第一に考え
「人にどう思われるか」を計算し
安全第一、見て見ぬふり
常に周囲を窺いながらモノを言う。

自分より優れたものを認めることなく
湧き上がってくる妬み嫉みに身を任せて
さりげなく罠にはめて
ざまぁみろメシウマ、
って心ひそかに思う。

ちょっとしたこと、
そう、ちょっとしたことなんだけど、
その積み重ねがゆっくり世界を腐敗させ
誰も責任を背負えない状況をつくってしまう。

もうそういうつまらないことに
付き合うのはやめようか。

結局のところ、それは、
自分のこころが満たされていないがゆえ
つまり、自分のこころの問題に
ケリをつけてないからじゃないの?

人のせいにするこころ
状況のせいにするこころ

自分を責め苛むこころ
消えてしまいたくなるこころ

そんな弱きこころがあれば
そいつを正面から受け止めて
しっかり見つめてあげること。

そうしてひたすら自分の感情をみつめ、
湧き上がる想念と向き合ううちに
やがて心は鎮まっていく・・・

最後のプレゼンのテーマが
思考の無限ループから抜け出すための
心身の処し方、マインドフルネスの話になったことも
また何だかとても象徴的だった気がします。

---

背筋をピンと伸ばし、人に媚びず、
本当によい仕事を追求し続ける人間が
真っ当に評価され、尊敬される、
そんな社会が当たり前になるよう、
僕らは胸を張って歩いていきたいもの。

さぁ、あらためてがんばっていこうか。

仲間はいいもんだ。

ティール組織

mirai.doda.jp

 

社会構造を根底から変える動きが

確実に進んでいるように感じます。

不安や恐れを利用しあう関係から

存在の根底にある動機を共鳴させる関係へ。

.

家族、会社、地域社会、国家といった

従来の固定的な関係はどんどん流動化して

集合離散を繰り返すアメーバのような

「生きた」組織の色を強めるのでしょう。

これってすごく ”ORGANIC” な形。

.

さぁ、とても面白い時代が始まるゾ。

お金のため、誰かにやらされる、ではなく、

皆の暮らしを支えるための様々な仕事を

ひとりひとりが自発的に持続可能な形で担う、

それを容易にするインフラを準備していこう。

.

ルール(制度)設計を上手にすること。

ひとりひとりが己の人間性を磨くこと。

何というか、基本に還る感じですね。

.

集合離散するコミュニティ運営のスキル。

ひとりひとりを本当に大切にするため、

絶えず出入りするメンバーをふわっと包んで

あるいは別のコミュニティに誘導し

皆の居心地が良い生態系を模索し続ける。
(→ファシリテーション 心の技法)

.

課題の本質(イシュー)を見極め、

やるべきこと(スコープ)を明示し

日々こなせるレベルまでタスクを分割し、

チーム(コミュニティ)を立ち上げ

皆で進捗を共有しながらコトを進めていく。
(→プロジェクト管理 知の技法)

.

硬い社会から柔らかい社会へ。

皆が柔軟な発想になって、幾多の課題を

軽やかにのりこえていけるような

そんな創造性に溢れる空気ができるといいなぁ。

.

どこまでも深まる感性(心)と、

どこまでも伸びる技術(知)と、

生命が拓いていく未来への可能性を

皆で喜び合えるような…

そんな素敵な社会を思い描き続けたい。

三国越林道

ここ最近は脳ミソを酷使していたので

昨日はしばし俗世を忘れるために山へ。

かって修験の聖地として栄えた

鷲峰山を西に仰ぎ見ながら

伊賀・甲賀・山城にまたがる

「三国越林道」周辺を彷徨しつつ

古の人びとに想いを致しました。

.

秘境とも呼ぶべき自然の懐のなかで

思いの外国際色豊かな営みに出逢い

歴史の中に現れては消えゆく

異形の者どもの創造の魂に身を浸す。

情念は時空を超えて流れ、流れゆく。

.

45歳になりました。

世界各地に散らばる様々な方々から

お祝いの言葉や嬉しいお誘いをいただき

人の縁は斯くもあるものかと

その心を有難く想っております。

.

幼き日々に与えられた仕業のために

心に築いた壁を崩せぬまま苦しみ続ける

幾多の小さく弱き魂に心を配りながらも

己の芯が邪に浸されることなく

自由活達に伸びゆくことを止めぬよう

天地に充ちる気に身を委ねていく

そんな一日になったように思います。

.

生命よ蔓延れ。

弥栄。

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(日本人)

国際的な価値観調査によれば、
日本人は世界で最も世俗的な国民だ。

日本人は世界の誰よりも、
「他人に迎合するよりも、自分らしくありたい」
「自分の人生の目標は自分で決めたい」
と考えている。

ご利益のない神を信じず、
地縁も血縁も捨てて
「一人一世帯」の無縁社会に生きている。

こうした特異な価値観を私たちは
当たり前のことと思っているが、
じつは日本人は歴史の最先端に
立っているのかもしれない。

**

私たち日本人に残された希望は、
いまの世俗性を維持したまま
自由な自己表現のできる
社会をつくることにしかない。

これは矢印をそのまま右に向け
図の右上にある空白部分、すなわち
誰も見たこともない場所を目指すことだ。

そこは…いかなる超越者(絶対神)も信じない
徹底的に世俗的なひとびとによって構成される
誰もが自由に自己表現・自己実現できる社会のはずだ。

**

すべてのローカルな共同体(伽藍)を
破壊することで国家をフレームワーク
(枠組み)だけにして、そこに退出の自由な
無数のグローバルな共同体を創造していく。

後期近代(再帰的近代)の終着点となる
その場所がユートピアへの入口だとするならば、
そこに最初に到達することが、
歴史が日本人に与えた使命なのだ。

―――以上引用(一部省略)―――

友人の勧めで橘玲の(日本人)を読了。

本書の発行は2012年5月ですが全く古びません。

現代の問題の構造と日本人の心性について

非常に高分解能で描かれていると感じました。

.

同じく歴史の大局を見つめるフレームを

提供する知的チャレンジなのですが、

昨年末に読んだ佐藤航陽の「お金2.0」は

人類の可能性~テクノロジーへの信頼、

圧倒的な楽観に支えられているのが心地よく

一服の清涼剤のような感じでした。

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.

対して本書は日本人の「こころ」に関する

表層的な思い込みを丁寧に剥離して

建前に支えられた偽りの姿でない

本音の在り処に肉薄していくことで、

「もう嘘をつき続けなくていいんだ」

という解放感を与えてくれる感じですかね。

.

僕自身の最近の思考フレームでいえば

「お金2.0」は【プロジェクト管理】

を支える基礎フレームを与えてくれるし

(日本人)は【ファシリテーション】を

より豊かにするための足場になりそう。

僕が今抱えている様々なプロジェクトにも

さっそく応用してみたいと思います。

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執筆した頃に書かれた著者のブログ↓
https://www.tachibana-akira.com/2012/05/4242

明けましておめでとうございます!

お蔭さまでこの正月はのんびり。

今日は地主神(田守神社)にお参り後、

ふと思い立って「御殿山」の山頂へ。

.

うちの畑はその山麓にあるのですが、

どうやらちょっとした霊山のようで、

地元のおんじゃんから聞いた言伝えでは

ここで農業以外の事業をはじめると

神罰があたるのだそうな・・・。

.

うーん、思い当たる節があるかも!?

まぁひととおり受けるものは受けてきた、

なんかそんな気もしますけどね(;´∀`)

.

昨晩は久しぶりに「もののけ姫」を見て

自然とテクノロジーの共生について

改めて考えを巡らしていたところでした。

.

弱き者を包摂して共に生きる理想郷を求め

壮絶な「神殺し」を淡々と遂行する【エボシ】

獣たちと運命を共にして生きる【サン】

ムラを守るため祟り神を殺し、そこで受け止めた

悲しき呪いと向き合い続ける【アシタカ】

その縺れ合いは永続していくかに見える…。

.

  人と自然 

   「人道」と「天道」

     経済と道徳

       個と全

.

高度成長を経て「個」の豊かさを追ううち

長らく二律背反のように描かれてきた

観念の運動(ダイナミズム)は

果たしてこれからも成立するだろうか?

.

否。

.

僕はもはやこうした認識の枠組が

世界をとらえる視座(スコープ)として

不適になってきたように感じています。

.

では、僕らが手がかりにすべき認識体系、

あるいは世界を捉えるための道具立ては

どういうものであるべきでしょうか?

そしてその下で、僕たちはどのように

次の時代を描いていくのでしょうか?

.

・・・てなことを考えながら、

今年自分が取り組んでいくべき事柄を

構造的に整理しようと思っていたら

なかなか収集がつかなそうだったので、

手早く「テーゼ」だけでも拾い上げることに。

.

曰く

.

★ものごとの原動力は差異にある
  ~生命を散逸構造としてとらえる

★「ありのまま」こそ多様性の源
  ~身体知・勘・共同性を観る

★「いのち」を乗りこなす
  ~プロジェクト管理技法

★分析から統合へ
  ~ファシリテーション技法

★「オーガニック」という戦略の可視化

.

今年はそんな軸を掲げながら、思索を深め、

諸々の事を為していこうと考えています。

具体的な内容についてはブログや講演などで

かみ砕いて言語化していきますので、

ボチボチお付き合いくださいませ。

.

それにしても、どうやら、

僕にとって本質的な「イシュー」は

己の生命を超えたところにあるようです。

.

もっともっと生産性の高い仕事、

もっともっと生産性の高い生き方をしたい。

.

でも、それは、

お金の観点からみた生産性ではありません。

.

時間的、空間的な広がりをもった

ネットワークとして存在する【いのち】

すなわち、人類や地球全体の広がりを

本当に豊かにしていく【何か】を生み出せる

そんな生産性を高めていきたいのです。

.

真に事が成し遂げられ、世に広がりゆくまで

ゆっくり根を張り、葉を広げる思考の「一貫性」

そしてその思考にコミットし続け、

我が身を前線に放り込んでいく「倫理性」

.

時には「伏流」のように人の目に触れず、

時には堰を切ってあふれ出す奔流のように、

いつも流れ流れ続ける「運動体」として

生きていきたいと願うばかりです。

.

共にこの世界を生きていかんとする皆々さま、

本年もどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

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田守神社(たもりじんじゃ)

御祭神:彦屋主田心命、別雷神、木花咲耶媛命

伊賀市蔵縄手353)

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2017年の振り返り

今年もいよいよ終わりですね。

昨日仕事納めだったので、

ひっそりした事務所でひとり、

一年の振り返りなどしております。

.

そういえば

年頭に掲げた自分のコアテーマは

【自力救済を放棄する】

だったわけですが、それが一年を通じて

出汁のように徐々に沁みてきたかなぁ。

kmurayama.hateblo.jp

.

ただ一心に眼前の事象に向かう。

言い訳しない。打算を捨てる。

目先の安全・リターンに囚われない。

「みんな」の幸せを願い続ける。

.

自分が胸を張って「善い」といえる道を

迷いなく選び、即行動し続ける。

目の前の相手に「一番」のものを

ためらいなく与え続ける。

弾き返されても、無視されても、

前へ、前へと、身を投げ続ける。

.

歩け、歩け、

犀の角のように

.

自灯明 法灯明 …

.

でも、本当に不思議なものだなぁ。

色々なものを捨てれば捨てるほど

一人じゃなくなっていったよ。

だんだん「なかま」が増えていった。

心にこびりついていた苦しみも

じんわり、じんわり和らいでいって。

.

楽になっていいんだ、それでいいんだ。

オレは一体何を守っていたんだろう?

.

2017年。

出会いがあり、別れがあった。

様々な悦びがあり、様々な痛みがあった。

.

混沌極まって喜劇の様相を示す世界のなか

人類は強く一つに結びつけられていることを

身につまされて感じた一年だった。

.

生と死はいつも背中合わせだ。

新しい生命がこの世に与えられた。

あっちに旅立っていったなかまがいた。

いのちの重さ。圧倒的ないのちの重さ。

それを思えば、諸々のツマラナイものなど

ポイっと投げ捨ててしまえばいいと決めた。

.

高速で危うく自らの生命を落としかけながら

奇妙な静けさに包まれていたことに吃驚した。

死は恐れても仕方ないんだな、きっと。

それはやがては僕らが帰すべきところだから。

むしろ恐れるべきは「己に不正直であること」。

その事実を骨の髄に打ち付けられたようで、

そのジンジンした感じがまだ身体に残る。

.

与えられた命、拾われた命。

せっかくなら全うし尽そう。

まだまだ惰性が抜けないところはあるけど、

自分に対しても、みんなに対しても

大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら、

ちゃんと顔を上げて歩んでいきたい。

.

「生命」というプロジェクトは

絶えず生成し、消滅しながら、

他の幾多の「生命」のプロジェクトと出会い、

衝突し、相互作用し、融合し、分裂しながら、

その一段上のレイヤーに生成される

「メタ」プロジェクトとして織りなされる。

.

そんな感覚を持てるかどうかが、

経営に携わる者には重要なのかもしれない。

否、これからの時代はきっと、ひとりひとりが

もっと経営者的な存在になるのだろうな。

.

時代の転換期に立つ。

面白いじゃないか、楽しんでやろう。

今はそんな気持ちになっています。

.

それにしても、

今年は幾多のつながりのなかで

常に磨き、磨かれながら

圧倒的なグルーブ感に包まれていった

そんな一年でした。

.

今、こうして共に歩んでいただける皆さまに

心から感謝の思いを伝えたいと思います。

.

ありがとう。

これからも共に生きていきましょう。

豊受大御神

歳末の諸事に追われる隙間を縫って

昨日は食を司る豊受大御神にご挨拶。

 

至らぬこの身に委ねられる事々を

ただ無事に成し遂げんことを祈念して。

 

汝嘗て来たりし丹波伊勢を結ぶ道程を

導かれるままに往き来しただ願う。

 

その生命の河の滔々と流れ続けんことを。

 

弥栄。

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