日々の雑感

忍びの里、伊賀の地より。オーガニックとは? 「本物」はどこに?

聖夜

年に一度くらいは少しだけ居住まいを正して
イエス・キリストの存在に想いを馳せる。
 
そう、今日はそんな日でしたね。
久しぶりに聖書を手に取って
パラパラとめくってみる。
 
 (ルカ6.20-23)
 
貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
 
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
 
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
 
人々に憎まれるとき、
また、人の子のために追い出され、
ののしられ、汚名を着せられるとき、
あなたがたは幸いである。
 
その日には喜び踊りなさい。
天には大きな報いがある。
 
この人々の先祖も、預言者たちに
同じことをしたのである。
 
------------------
 
(ルカ27-36)
 
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
 
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
 
あなたの頬を打つ者には、
もう一方の頬をも向けなさい。
 
上着を奪い取る者には、
下着をも拒んではならない。
 
求めるものには、誰にでも与えなさい。
 
あなたの持ち物を奪う者から
取り返そうとしてはならない。
 
人にしてもらいたいと思うことを、
人にもしなさい。
 
自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな恵みがあろうか。
 
罪人でも愛してくれる人を愛している。
 
また、自分に良くしてくれる人に
善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
 
罪人でも同じことをしている。
 
返してもらうことを当てにして貸したところで、
どんな恵みがあろうか。
 
罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、
罪人に貸すのである。
 
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に良いことをし、なにも当てにしないで貸しなさい。
 
そうすれば、たくさんの報いがあり、
いと高き方の子となる。
 
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも
情け深いからである。
  
あなたがたの父が憐み深いように、
あなたがたも憐み深い者となりなさい。

 

 
いやぁ激しい言葉だと思う。
 
こんなハードなことを突きつけてくる人の誕生日を
よく皆でお祝いするものだな、とw。
 
春に聞いた、ほぼ日にあった吉本隆明の
宗教と自立に関する講演(録音)のことを思い出した。
 
 
ポイント → 
  人というものは現実にはどうあがいても
  あっちとこっちでルールを変えながら
  ええ加減(相対的)な生き方を生きている
  あほんだら~な存在なのであって、
  そんな人間という存在に絶対的な倫理性を
  要求するのは自己欺瞞なのではないか?
  そんなことより自分が日々を暮らしていくことに
  意識を集中するほうがええんでないの?
  むしろそっちに歴史や空間を超える
  普遍的な知恵があるのでは?
 
 
その時に自分が感じ、考えていたことは…。
 
そして僕は今、ギリギリのところにいる。
 
相変わらず、と思うかもしれないけれど、
そのギリギリっぷりは年を追うごとに
増していくばかりなんだなぁ。
耐えがたいくらいの激しい振れっぷり。
 
そんななかでも辛うじてバランスを保つために、
支えになっていることといえば、
自分がここまで生きてきたなかで受け取ってきた
「価値あるもの」
をしっかり守り、育て、伝えたい、という感覚。
 
それにしても、僕にとって
「価値あるもの」って何だろう?
 
誠実であること。
主体性をもつこと。
一貫性。言行一致。
創造性。つくり続けること。
普遍の可能性に賭けること?
 
周囲から見ると「異形」のものが
多く含まれているだろうと思う。
とはいえ、その価値の感覚自体を
今更簡単に修正出来るわけもなく、
僕は僕として生きていくしかない。
 
そう開き直っているがゆえに、
随分なでこぼこ道を走ってきたし、
今もまだ、その最中に居る。
 
こうして結果的に多くのひとを巻き込んで
今も走り続けるなかで、
リーダーとしてメンバーに要求するのは
「主体性」であり「倫理性」。
 
何というか、今更それが
「絶対的な価値」などと
言う気はさらさらないけれど。
 
僕らが今置かれた状況のなかで、
相対的に生き残れる可能性が高そうなのは
「倫理性」を貫くことだと感じるからこそ、
そこに賭け続けるわけで。
単にギャンブルの仕方の問題。
つまりは認識と計算。
 
でもそうと腹を決めたときには、
やるのかやらないのか、
残るのか立ち去るのか、
それを突き付けなければ、
こっちがやられちゃう。
 
正気を保つために。
 
僕を追い詰めてくる、
甘え、言い訳、だらしなさ、卑怯さ
そういった性情をぶった切る。
 
吉本隆明のいう「党派性」がむき出しになる場面だ。
 
血が吹き出る。
 
怖いよ。もちろん。
絶対的なものなんて分からないから。
 
でも、ともかく色々棚に置いてでも
ぶった切らなきゃいけない場面があるのよ。
大人ってのはねw。
 
そしてその時は、
ふらふらしちゃいけない。
自らの決断を信じ切ることが必要だ。
 
あ~、何というか、
今は戦時だと感じているようです。
僕の身体は、ね。
 
ともあれ、こうして突き詰めた思考をするのも
真の平和を願えばこそ、ではあるのです。
 
May Peace Prevail.
 
Wishing every one of you have a merry, merry Chrismas!!