有機農業の日を前に
明日12月8日は「有機農業の日」。
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日本に有機農業を広げるため、
昨年制定された記念日で、
「オーガニックの未来を開こう」という
タイトルで公開セミナーが開催されます。
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僕も「有機農家の協同組合」というタイトルで
お話しする時間をいただいたのですが、
今も何をどう話すべきか悩んでいるところです。
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タイトルの「開こう」が(逆説的に)示すとおり、
日本の有機農業業界は実際、とても閉鎖的なところらしい。
まぁ言ってみれば「有機農業ムラ」があって、
業界の掟やら認可やら補助金やら
諸々の権益構造が複雑にからみあっていて、
なんかブレイクスルーができないまま、
マジ変わらなきゃいけないけど、さてどうしたもんか?
と内輪でモニャモニャ悩みつづけてる状態。
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2年近く前から、局面打開のため、
あまり業界に馴染んでない30歳代の若い連中に
とりあえずやれることやってみて、
って感じでボールをポーンと渡してプレーさせて
じゃあそろそろ何が起こったか確認してみようか、
というステージに来たところだと思います。
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で、明日は改めて業界関係者が集まって
「これからどうするの?」
をディスカッションする場になっていて、
さぁ僕はここに何を投下したもんか、と、
はたと止まって考え続けてるわけです。
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閉鎖的といえば、最近では大相撲業界が熱いですね。
秩序現状維持派の協会&モンゴル力士勢
VS
「ガチンコこそ正義」を頑なに貫く貴乃花
という構図は泥仕合の様相を呈してきていますが、
現代の諸局面で、こういうパターンの対立構造激化が
既におなじみになってきた感もあります。
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ということで、せっかくなので独断と偏見で
現在の状況を大相撲業界に譬えてみれば、
モンゴル力士ばりに勢力を伸ばしている
新参農業ベンチャー起業家らを支援しながら
「協会」が色々と対応策を出してくるのだけど、
ガチンコ(食えて何ぼだろプロ根性出せ的)で
マッチョな貴乃花系農家らはこの流れと距離を置く。
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叩き上げで鍛えてきた実力派の有機農家たちは
協会に頼ったり、星の譲り合いしなくても
相撲には勝てる(経営的に食える)わけだし、
「道」を極めていくことを一義ととらえれば、
こういうモニョモニョした面倒ごとは好きじゃない。
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何より、置かれた状況が一番違うのは、
大相撲は土俵(興行)を協会が牛耳ってるけれど、
有機農業の世界は市場が細かく散らばっている
ということなのではないのかな。
草野球ならぬ、草相撲が全国で展開されていて、
ローカルルールがそこら中に存在していて、
(プロレスに寄ってみたり、竹刀を使ってみたりw)
まぁ、中央からの制御なんて効かないんですよねぇ。
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とはいえ、10年後20年後をにらんだうえで、
本当に力のある生産者やバイヤーを育てるには
国レベルでの戦略的な支援体制が要るのでは?
個々のミクロ最適解が寄せ集まったときに
全体として発生する結果は最悪、なんていう、
合成の誤謬みたいなことはよく起こるわけだし。
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生産や経営技術スキルを上げるサポートをしたり、
生産者に有利な流通機構の生成を支援したり、
環境保全や地域コミュニティの涵養みたいに、
人と人、人と自然のつながりを大切にする
オーガニックな社会志向をバックアップしたり、
全国的な広域ネットワークとしてそうした取組を
体系的に行っていくことは、重要だと思うのです。
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そうした取り組みを戦略立案し、実行し、
あるいは多様な関係者をファシリテーションするのが
広域に活動している流通業者や農業ベンチャーの
役割だと思いますし、その存在はとても貴重です。
ただし、ちゃんとクオリティ高いもの出せよな、と。
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てなことを考えながら、狭い農業界から目線を外して、
「イシューよりはじめよ」
という言葉を思い出しました。
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”問題はまず「解く」ものだと考えがちだが、
まずすべきは本当に解くべき問題、
すなわちイシューを「見極める」ことだ”
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今のこの業界における最も深い【イシュー】は何か?
それをブレイクダウンして、アクションプランに落とせるか?
他産業に負けないぐらい、その部分を見つめ、
しっかり提案できる知的な人材を育てているか?
僕らはそこのところをしっかり見定めなければなりません。
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さて、あともう少し頑張ってプレゼン方針練ります。
うまく資料できたら、またUPします(^^)
各地のオーガニック系生産者、流通業者の皆さま、
そろそろ連携して色々チャレンジしませんか?
まずは明日。ちゃんと口火を切れますように・・・
こころと意識の置きどころ
この2~3か月というもの
様々なことがありすぎて
その濃密さに圧倒されている間に
ずいぶん時間が経っていました。
生まれ出ずるもの
消えゆくもの
【いのち】という現象の奥深さを前にして
自分の世界の捉え方、従うべき規範を
根っこのほうから洗い直されている感じです。
「誰もが存在の居場所を必要としている」
ひとりひとりの「居場所」を創り育てることが
最重要テーマとなっていることを感じます。
そのための知恵や技術を磨いていきたい。
何らかの力によって支配するのではなく、
こころに寄り添うこと。
自分の枠に当てはめて理解するのではなく
相手の世界を自分に貫入させること。
時に分からないことを分からないまま
心の中に静かに受け入れながら
そうしてそれが熟成するのを待つこと。
それはとても難しいことだけれども。
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掌中に収まるものがあれば
掌から零れ落ちるものがある
執着は人を救わない。
受け容れられるときがあれば
弾き出されるときがある
所属や盲従は人を救わない。
不安によってドライブされるのは
もう金輪際止めたいなぁ。
では何を灯として生きていくべきか?
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< 自灯明 法灯明 >
己のこころをそのままに受け容れ
暮らしのなかの起点とすること。
真理(科学)と規範(哲学)に関する学びを深めて
己の内なる曼荼羅を豊かにし、それに従うこと。
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「犀の角ように独り歩め」
世の中や周囲の思惑に流されず
他者を自分に従わせようとせず
世に絶望せず、己の力を奢らず
共に生きる朋友のあることをただ悦ぶ。
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いのちという現象は 光と闇、陰と陽のあいだを
不断に行き来しながら、らせんのように描かれる。
眼前の現象に囚われることなく
奥底に脈々と流れる河を見つめ
実相に触れていられるように。
生まれ来るものにも、還り逝くものにも 。
全てのいのちに祝福があらんことを。
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ただただ感謝とともに。
今日を生きる。
デキないヤツを援けていると共倒れする
堀江さんの姿勢って同意する部分は多い。
冷静にロジックで考えていたらそうなるからね~。
でもそういう風にすっぱり割り切れないのが
きっと僕という人間の在り方なんだと思う。
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「オーガニック」の本質的な意味は
自然界の虫や草、土の中の微生物など、
弱き者も含めた多様な生命と共に
生きていく方法を探ること。
だから、僕らが生きるこの世界のなかに
どんな生態系や社会構造がつくられていくかを
ひたすら観察し続けながら、実践を続けている。
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人と人、人と自然がつながる、
いのちを尊重し、こころを通わせる
それがオーガニックというスタイル(生き様)。
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とはいえ、これってすごく難しいことだ。
こういう業界で10年ほど生きてきたけど、
大層なキレイごとばかり言いながら
スーッとフェイドアウトして
結局てめぇが可愛いだけやんけ、
というケースをどれだけ見てきたことか。
ホリエモンの言うことはもっともだ、
と言いたくなる気持ちはないではない。
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ただ、僕はそこは宙に浮かせておきたいな。
「夢」を見続けながら、力不足で手が届かぬままに、
いろいろ迷惑をかけたり、痛い目も見てきたけど、
まぁ、馬鹿は死ななきゃ治らない、ということで。
しょっぱい「絶望」を前提とした世界なんて、
心から楽しめる気がしないので・・・。
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諸々ありまして、しばらくの間
畑にどっぷりの生活になりそうな見込み。
漢方もよく効いて身体も良くなってきたようで
そろそろ鍛えていかないといけないかなぁ。
お天道様の下をバタバタと走り回るので、
ちょっと掴まりにくくなるかもしれません。
どうぞ生暖かく見守ってくださいませ~。
「仕事が苦しいのは、自分が無能だから」と思うな
女装の東大教授、安富さん。
この人の話はとても分かりやすい。
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落ちこぼれた人にしか分からない話?
でもスケールフリー則を踏まえれば
社会の圧倒的多数は「落ちこぼれ」ではないか?
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減点法によって植え付けられた罪悪感を自覚し、
そこから離脱できるといいのだけれど。
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以下適宜抜粋
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◎働く男性が心の病に苦しむケースが増えている
◎見えない何かに取り囲まれている感じなんですよね。
むしろ、それらを守ることに必死になっている
~ その根幹にあるものは、「罪悪感」
◎学校教育では、理解できないものを、
理解できないまま、「こういうものなんだ」
と思い込まされる。これが蓄積されていくと、
「理解できない私が悪い」という罪悪感が育ってしまう
◎(落ちこぼれた人が学校で身につける能力は)
「難しそうな話が分からなければ、
それは自分が馬鹿だからだ、と思う能力」
「訳が分からないけれども、答えてみせる能力」
「大人しくじっと座り続ける能力」
◎会社に入る準備が完了
自発的に隷従
~それを他人にも強制する「監視役」としても機能
◎罪悪感は、社会のシステムの根幹部分です。
例えば、立場上、やらないといけない役があるとします。
役を果たせば、立場が守られる。
◎日本人は立場を失うと、尊重されなくなります。
立場を失えば、何をされても文句は言えない
という状態になる。それが恐ろしくて、
みんな立場を守り抜こうとするんです。
◎世界各国それぞれに、
形の違う「罪悪感発生システム」がある
中国ならばメンツ主義
~ ほかの国では、契約社会だったり、
幸福で前向きなふり社会だったり
◎自分自身の中にある
「罪悪感発生プログラム」と向き合い始める。
ここが、息苦しさから抜ける第一歩
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最近、社会を底流から動かしている
「磁場」がどのように構造化されるのか、
物性物理学、自己組織化などの観点から
いろいろ捉えなおしてみています。
日本の社会は右へ倣えを固定化する
「強磁性体」っぽい挙動が目立ちます。
個々のエネルギーを上げて温度を上昇させ
「常磁性」を目指すべきかなぁ、と。
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僕らの描く未来の社会、そしてそれを支えるべき
基礎インフラはどのようなものか?
人間の「関係」とはいったい何なのか?
家族や企業の在り方、人材育成、
流通ネットワーク構造などについて
おもちゃ箱をひっくり返した有様のなかで
自分の軸を確かめ続けています。
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いのちを大切にする、こころある社会とは?
【京大変人講座】 カオスの闇の八百万の神 ~受講メモ~
酒井 敏 (Satoshi Sakai)先生の話は
なかなかに刺激的でした。
越前屋俵太さんの軽妙な誘導も
段々と小慣れてきた感じ。
よいきっかけを与えてもらったので
どんな話だったかざっくり整理。
(図は適当にネットからパクったもの。)
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◎カオスとは?(パイこね変換の話)
完全に計算できる機械的な処理でも
何度も同じことを繰り返すうちに
初期の微妙な誤差が広がって予測不能になる。
気象の予測でも、蝶のはばたき一つが
世界中の天気を変える要因となりうる。
→ 長期予測なんてできない
「バタフライ効果」
~ 完璧な計画など目指す必要はない
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◎フラクタル
同じパターンを何度も繰り返す
「自己相似」によって描かれる図形が
自然界のなかにあふれている。
(シェルピンスキー、マンデルブロ)
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◎スケールフリー性
ネットワークの可視化により見えてきたのは
一部のノード(ハブ)は膨大なリンクを持つ一方で
ほとんどはごくわずかなノードしかつながらない、
というスケールフリーな分布をしていること。
スケールフリーの構造は「自己相似」でできる
フラクタルと同じである。
~ 自然界では誰もが平等に不平等。
ということは、友達もお金も…
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◎学際領域
自然(人を含め)を対象にする学問は
昔ながらの秩序階層構造を止めて
ネットワーク的なアプローチをすべきでは?
そもそも研究領域を縦割りしたところで
自然の構造はみな共通である以上
各分野を極めると同じところに辿り着く。
そういう認識をもとに研究体制も
組み変えていくべきではないか?
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◎<変人>
皆、実は等しく「変人」だ。
自然界はちょっとやそっとのランダムでは
びくともしない、柔軟な強さを持っている。
怖がっていても仕方ないので、
型にはめようとするのはやめて
己の道を行かせるようにしよう。
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エエカゲンがおもしろい。ぼちぼちいこか。
http://medicines.aquaorbis.net/…/ni…/gakusya-j/mori-tsuyoshi
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さて、翻って自分の来し方行く末。
オーガニックとは人と人、
人と自然のつながりを大切にすること。
でもそもそも自然の「つながり」が
一体どんな構造をしているかを良く知るべし。
スケールフリーな構造とランダムな構造。
柔軟で強いネットワーク構造を前にして
この世界にイノベーションを起こすためには
僕らはどのような戦略を持ったらよいか?
自らに課したテーマを一段と
深めていく必要を感じさせられた。
「学ぶ」ことは素晴らしい。